ケビン・ベーコンといえば 80年代フットルースで 爽やかに登場したものの その後 勢いが落ちたりした後 演技派俳優として見事に復活 という ラッキーというか 実力のある俳優 と 証明したようなもので 彼の出演した映画は 結構骨のあるものが 最近では多い。

例えば 秘密のかけら とか ミスティック・リバーとか (関係ないけれど 個人的に クリント・イーストウッドの映画とは相性が悪く 最初の作品以外は 殆ど好きになれない) 人間の隠された真相を暴く といったものが多い。

少ない予算で撮った この 

ウッズマン

という映画もそんなタイプの一つ。

謎めいた男 ウォルターが 故郷の町に12年間の服役を終えて戻ってくる。再出発を図る 彼を 邪魔するのは 実は 彼の犯罪というのは 小児愛だったという事実。社会に溶け込めずにいる ウォルターは 同じ製材所で働く ヴィッキーと肉体関係を持つようになるが 彼の過去が知れるのに 時間はかからなかった。

という よくある話といえば よくある話。

しかし 抑えた演出だけに 出演者の演技力 特に ケビン・ベーコンの演技力で 見せる映画になっていました。

彼が 自分がどうしても コドモを目で追ってしまう 大人の女性と性的関係を持っていても どうしても コドモに目がいってしまうのに 自分で気づいて戸惑うシーンでの その心の動き 自分への怒り 戸惑い 不安 しかし どうしても 目が行ってしまう のを 抑えられない という 複雑な心境が よく伝わってきます。

犯罪者 特に 少年少女を対象にした性犯罪というのは 欧米では特に敵視され 「援助交際」なんぞという 気楽な 表現でやり過ごす日本の状況とは 随分違っています。

というのも 性犯罪にあった 少年少女の心の傷は 大人よりも大きく 他人に対する信頼 性的行動がかえって奔放になってしまったりする など 他者との健康な関係が築けなくなる ということ など 影響が大きすぎるからです。そういえば 去年もアメリカ議員が 少年との性交渉を持っていたことで 辞任するハメになっていました。

そんな 古くも新しく 論議のまとになる 話題に取り組んだケビン。

この映画は 性犯罪者である ウォルターが どうやって 自分の怒りと戦っていくか、よく英語で Demon と言いますが いわば 心の闇に葛藤し 光を見つけていくか という 救済を発見する映画であると 共に 犯罪者に対する差別 という現実についても 指摘するものでした。

犯罪者が近くに住むのはいやだ という 気持ちはよくわかります。まして 性犯罪者なんて お断りです。お子さんのいる方なら 当然です。

最近も ブリスベンで学校から約100メートルくらい離れたところに 小児性犯罪者が住むことになり 報道されるという事態に至りました。

ただ 基本的には 犯罪は裁判にかけられ 判決が下り 服役した時点で そのつけは払ったことになっています。十分に反省し、自分の罪を償った ということです。勿論 本人が反省し 二度と同じ過ちをしない と 誓った という前提ですが。

このウォルターも 自分が犯した罪の重さを わかっており また同じことをしたら 刑務所送りになることも 十分認識しているわけです。

なのに コドモが毎日見えるところに 住居を手配する とか それは 猫の前に鰹節を置いて 食べるな というような ものでは?と ちょっとあきれてしまいます。

そして 家族も一切連絡を断ってしまうという 社会からの隔絶と 前科モノということで 警察が常に目を光らせ 自分の犯した罪をいやでも認識させられ 日々罰せられるような日々。それが居心地が悪く また 常に自分の犯した罪を 繰り返し思い起こさせられる という 煉獄のような状態で 心の平安を保て というのは 無理なこと。

罪を償って 社会復帰しようとしているのに いつまでも自分を受け入れようとしない社会に 怒りを感じ 反省しているはずなのに どうしてもコドモに近づきたくなってしまう自分に 怒りを感じ 自分の中の悪魔を沈めようとしているのに その過去をほじくりかえそうとする 他人に怒りを感じ と 怒りに満ちた日々を送るのは こんな状況ではやむをえないように感じます。勿論 これは ウォルターがある意味 自分の過去 と 社会に対する怒り に捕われ 現実的に一歩足を踏み出すことをしないからですが。

彼は確かに刑務所で刑期を終えてはいますが それは 

裁判でそう判決を下されたから

というだけで 実際に 自分がしたことが 被害者にどのような影響を与えたか 被害者がどのように感じたか を はっきりとわかっていなかったわけです。

つまり 自分の罪が 加害者に与えた影響を 認識して初めて 犯罪者には更生の道が開かれるのだ ということ。 映画の中では 社会から阻害された ウォルターが なかばやけになって 自分の中のDemonに屈しようとしたときに 偶然にも提示されるのですが。

この 犯罪者がどうやって 自分の罪を認識するか というプロセスを描くと同時に 加害者を糾弾できるのは 本来ならば被害者だけなのですが 実際には社会が糾弾することが 多い という事実も この映画は指摘しいています。

ある事件が起こった後 ある女性が発言します。

「皆には知る権利がある」

と。

それは確かに本当のこと。
だからこそ 情報公開法が存在し アメリカでは性犯罪者の顔写真が インターネットで公表されています。

ですが それを匿名で皆に知らせたり通報したりするのは 偽善以外の何者でもありません。
正義の仮面をかぶった悪魔。
知る権利は確かに存在するけれど 知った情報を使って他人に迷惑をかける権利はないでしょうし 情報を得て 何か問題になるようならば 本人と直接交渉するのが道理。
なのに わざわざ匿名で多数の人に知らせ 相手を社会から切り離そうとするのは 善意と正義を装った悪意そのもの。

実際に犯罪を犯した人と それについて正義面して いやがらせをし その卑怯さを指摘されると 「そうする権利がある」 と言い立てる人。

どちらが 人間として卑しいか 考えてみたらどうだろう と 映画は問いかけているようです。
そして 本当の悪とは 一体なんなのだろう と。

見ていて楽しい映画ではないし コドモに性的いたずらをする人間なんて 見るのもキモチワルイ と言う人には 耐え難い映画でしょうが 抑えたタッチの中にも 人を社会の隅へと追いやる 人間の醜い心理 犯罪者の暗い想念 怒りが描かれた 見ごたえのある作品となっていました。
2007.01.06 
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