Lost in Australia 

オーストラリアから 映画と英語と暮らしのことなど 色々と

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【映画感想文】ラースと、その彼女

秋晴れのブリスベンからこんにちは。

またもや猫に朝早くに起こされたので今日返却予定だったこの映画を一気に鑑賞。

ラーズとその彼女

いわゆる 「ハート・ウォーミング・ストーリー」なのですが この主人公ラースを

「やばい人」

と 考え

「町じゅうの人が ラブドールを人間として扱うなんて ありえない」

と 思うようなら この映画は避けましょう。

この映画は 

「世界が100人の村だったら」

と言う本がありましたが それを実践したような映画で 心優しい青年がたまたま変な妄想を抱くようになってしまったけれど 排除するのではなく あるがままに受け入れられる世の中だったらいいね っていう話なんですから。

この映画みたいに ラブドールを養子にしたり 一緒に生活している人っていうのは アメリカでは結構いるらしくて 確かに映画の中で言うように 口答えもしないし いつまでも同じ年齢だし 余計なことも言わないし 理想的って考える人がいてもおかしくないし 猫に対して 「うちの子です」とか言う人だって 同じ妄想を抱いている と 言われても返す言葉はないハズ。実際映画の中で 教会に通う信心深いおばさんが ラブドール ビアンカが教会に来るというので反対する人々に向かって

「あんたのいとこは犬に服着せてるし UFO研究会に献金してたりするでしょ どこ違うのよ」

と 言ってます。

なので 映画の原題 The Real Girlっていうのは 製品名でもあるけれど ラースにとっては ビアンカはリアル=現実で 誰かの心の中で現実ならば 他の人の目にはおかしくうつっても それは主観と言うものにすべてが基づき 常識というものが多数派のいう「現実」でしかなく 少数派の「現実」は反映する位置にはない ということを否応なしに考えさせられます。

最後の方になるとちょっとそれはあり得ない…と 思うシーンもあるけれど 映画全体がファンタジーで 人間の心と言うのは 罪や恐怖など 自分では耐えきれない状況に直面したとき 妄想を作り出すことで現実や人生に対応していくことができる ということを言いたかったのでしょう。
そうやって人の心はすべてを解決していく不思議なもので 可能性と柔軟性というのは驚くべきもの。
 
そして 妄想自体にも意味があり 周りの人も頭から否定するのではなく その人を妄想もひっくるめて受け入れていくことで そうした妄想を抱いている人も 周りの人ももう少し生きやすく 社会もいいものになるのでは?という メッセージを感じ取りました。

ひそかに笑えるシーンもあったりして(お姉さんのカリンが ラブドールのスカートをめくって確認するところや サラダを動揺しながらもりつけして 「ビアンカ←ラブドールの名前は ものを食べられないんだったわ!」とか言うところ などなど) いわゆるビター&スイートな 心あたたまる映画を観たい方にはお勧めです。 

しかし 上のビデオカバーの写真を探しているときに発見した The New Yorker誌のこのイラスト
NewYorkerイラスト
(from The New Yorker : http://www.newyorker.com/arts/events/revivals/2007/10/15/071015gomo_GOAT_movies)

あのーライアン・ゴズリングは こんなエロおやじではありません!


続きではネタバレしながら 映画についてネタバレしつつ ちょっと考察しています。




ラースがどうしてラブドールを購入するにいたったか その経緯については特に詳しく描かれていないのですが IMDBで見ると 自閉症?アスペルガー症候群?みたいな意見がありました。

でも 映画の中で語られるラースの過去

ラースの出産時に母は死に その後父は自分の殻にひきこもり 兄も若いうちに家を離れ 帰ってきたときには妻を連れて帰ってきて 母屋を二人で使い ガレージでラースはずっと暮らしている。
父はほとんど口をきかず たぶん アメリカ人がするように ハグだのキスだのをしたとは思われない。
兄だけが愛情をやりとりできる相手だったろうけれど それも幼いうちにいなくなってしまい 奥さんを連れて帰ってきたため 絆を強固にできる状態にはない。
しかも 一緒に母屋に暮らそう とも 兄から誘われることはなく 誘うのは兄嫁カリン。
自分は誰にも愛されず 誰にとっても大事ではない と思ってしまっても仕方ないような状況。

カリンは ラースの心の奥底では一人しかいない家族を奪った人間であって 彼女がずけずけと近づいてくる姿はラースにとって耐えがたい。
そのうえ 妊娠してしまったことで カリンは亡くした母と重なり 自分の愛する兄である大事な人がいなくなる恐怖はきっと相当なものだったことでしょう。

そのうえ職場に新しく配属されたマーゴは 信心深いのはいいけれど とっても積極的でカリンと同様に無理やり 自分のペースに巻き込もうとする。
条件的にはいいけれど ラースとしてはもっとゆっくり近づいてきてほしいのでは?
でも さびしいから と 彼氏を作るようなさびしがり屋のマーゴは そんなラースの気持ちも知らず ぐいぐいと距離を縮めようとしてくる。

教会の世話役みたいなおばさんも 

「彼女作りなさいよ」

と ラースの心の奥底を流れる孤独と恐怖を知らず ずけずけと言ってのける。
ずっと人付き合いを避けてきたのに いまさらどうやって自分の気持ちを表せばいいのかわからないうえに 自分は人と違って「普通」じゃない と 思っているラースにとって こんな状況を解決するのが
ラブドールのビアンカの登場。

絶対死なないビアンカ。
自分の傍を片時も離れないビアンカ。
自分のペースを乱さずに 無理やり近づいて来ることのないビアンカ。

彼女ができたことで 周りからのプレッシャーをすべて逃れることができ 自分だけの静かで平和な世界で暮らしていける。
妄想を作り出して 耐えがたい現実と折り合いをつけようとし 現実に立ち向かう準備ができたら 妄想を見事に葬る人間の心の不思議さ。

そういう観察と言う点からはとっても楽しかったのですが できたら ラースが結局現実を受け入れ 人間同士のコミュニケーションが取れるようになり 「大人になった」 ことで 解決をつけるのではなく こういう少数派に属する人たちがそのまま少数派として生きていける ということを示唆するような マーゴも誰もかれもが妄想を抱えたままのラースを受け入れていく って方がより理想的ではあったような気がします。

なんかこれだと 少数派を受け入れているようで 実際のところはそうでもないような気がしたんですが。
大人になるのって そんなに重要なことなんだろうか。
世の中には色々な事情から 大人になれない人だっているんだ でもそれだっていいんだ!と 違いを受け入れるようでいて 実際にところ 「普通=多数派」になることが大事なんだ と 説かれているようでちょっぴり違和感を感じたのも事実です。

あと このマーゴ。
若い時によく見たのですが 純真そうなので男性はよく近づくけど 女性の目からは結構食わせ者ってタイプで なんかイヤでした。

気になる男性の前で涙をこぼして

「いいの心配しないで」

とか言って まんまと付き合うに至る とかいませんでしたか?
そういう女の子って男性から見たらかわいいのでしょうが 女性同士になったら いろいろ純真なふりで変なこと色々言ってていやなタイプでした。
この子 映画の最初から ラースに押せ押せで押し掛けて 最後もなんかそんな感じで こういうおしつけがましいのじゃなくて ラースと同じようにおとなしくて人づき合いが苦手 みたいな方がよかったんじゃないかな。
 
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| エイガ | 13:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑















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