Lost in Australia 

オーストラリアから 映画と英語と暮らしのことなど 色々と

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ファウンテン~永遠につづく愛~映画感想文~

またもやどんよりブリスベンからこんにちは。

映画たまってます。
DVDの数くらい たまってます。
忘れないうちに書いておかないと また忘れます。

いつまでも叩かれまくりのオーストラリアの ヒュー・ジャックマン主演作 最終版がこれ。

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(2008/06/06)
ヒュー・ジャックマンレイチェル・ワイズ

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これ 公開当時に観に行こう ダレン・アロノフスキーだし! って思ってたら
ものすごく酷評され
それでも観ようと思って 新聞を見たら
わずか一週間で打ち切りとなっていた

そんな映画。

一応観る前にも評論家さんのサイトとか見たら

「トンデモ映画」

「わけわからん」

とかめちゃくちゃ叩かれてたので
おっかなびっくり観ました。
最悪 ヒュー・ジャックマンは出てるからそれだけでいいや!と。

でも

結構わかりやすい この映画!

まあ 何が問題になってるかは 観ればすぐにわかります。

それは ヒューが

頭を丸めて 
へんな作務衣みたいのを着て
太極拳か何かをし
座禅しながら
空中浮揚するから

ああ 書いただけで本当にバカバカしく思えてきた!

でも 頭丸めてもハンサムだわー
ヒューの坊さん姿
ちょっと エイドリアン・ブロディに似てますね。

そういうくだらない感想はさておき

大体このハゲヒューを 26世紀 とかにしてるのが間違い。
これ 単なる心象風景ですよね。

このシークエンスさえなきゃあ トンデモにはならなかったんでしょうが
聞けば この大予算映画
元々はブラッド・ピットと ケイト・ブランシェットだったとか。

イヤ―二人とも ベンジャミン・バトンで いい目に遭ってるわね
それに比べて ヒューとニコールは…と やっかみはさておき

この映画を撮る際だか 暗礁に乗り上げた際だかに 
インドと中国へ行き 行方不明になったとかいう アロノフスキー監督。

そのエピソードを聞いたら
この アジア圏の人からみりゃあ 

「なんだこりゃ」

世界が 救いの世界の象徴として 使用されるのは納得がいくもの。

アロノフスキー監督は パイや レクイエム・フォー・ドリームズ(いい映画だけど二度と観たくない)
で 理性が壊れていく有様をそれはそれは入念に描いており この映画はそれをさらに先へ進めたもの と 考えればいいのではないでしょうか。
ま そういうのってよくある って 言いきっちゃうこともできるんですが
真剣に

「現代人にとっての理性とはなんぞや 理性がなくしては 人間たる意味はなし」

とまあ それはそれは西洋人的な思想を貫いてきたアロノフスキー監督にとって
この映画 たぶんものすごーく インパクトある思想を描こうとしたものだったんでしょうね。
だからこそ カンヌで大好評だった レスラー みたいな 
人間の肉体が衰えていくものの 精神的にはまだ大丈夫!
つーテーマの映画が作れたのかな と。

出演してる人たちにしたら こんだけぼろくそに言われて
やるせないものがあったでしょうが…。

さて この映画の前提には
近代西洋文化にとっては 
理性 と それ以外は対立関係にあり
そうした関係が成り立つ以前にはキリスト教原理 という 
今でも強い影響を持つ文化的柱が存在していた ということを
一応この映画 きちんと出しています。

16世紀のスペインで描かれるのは 
魔女狩りという 理性以前の前近代
恐怖と迷信が宗教にからみあわされ ごっちゃになった中
永遠の命 とは 心身二元論をとるキリスト教的には
魂の永遠であり 肉体というものは殻でしかない
それを信じないのは異端者!という姿勢

この圧迫的存在は 
女王イザベル=愛妻イジ―を滅ぼそうとする
ガンとして 現代で 再度あらわされ 
トマス=夫トムは スペインでのコンキスタ=征服者として
現代医学の力で イジーを滅ぼすものを
制圧しようとする役割を担います。

だけど この がんの特効薬を発見するため
肝心の妻をないがしろにしてまで 必死で研究を続ける
というのは 近代の理性優勢主義であり
それが転じて科学万能主義へとなり替わり 
これは現代では 宗教にとってかわるオブセッション
となってしまっている姿が描かれます。

宗教 科学 ともに 
救いをもたらずはずだったのが
心を救う存在ではなくなってしまった。

宗教は魂を救うはずが 人々を圧迫する存在に
現代医学は肉体は救えても 心のケアまでは至ることがない 

両方ともが 魂 肉体 と 対象は違うながらも 
永遠の命 を追求しながら
誰をも幸せにせず
人々を管理しようとする存在 
と 成り果ててしまった。

それに対して 回転するヒューが受け入れる
自然と一体化し 死というものはあくまでも
命のサイクルの一環でしかない という考えは
死に対し命という二元論に対し
死と命が円環構造になった 一元論

何も終わることがない世界
それこそが 人間と言う形ではなくても
「命」が続いて行くから
自分も
自分が愛した誰かが死んでしまっても
世界は永遠であり続ける 

それこそが 妻イジーが伝えたかったことだ

と 東洋思想を理解するまでの 必死の苦行を示しているのが
あの ハゲヒューだとは思うのですが…。

だから ハゲの世界には 現実のイジ―との会話や姿が織り込まれているし
イジーの白い衣装は死に装束とも 天使とも連想させられ
既に 死を迎え入れているのを 示しているようでもあり
それが幻想となってることは
イジーが木になって登場して=すでに永遠のものとなっているので示されており
だけど トムは病気の木を治そうと考えていて 
まだ イジーの死を受け入れられないでいる状態にある

という心象風景が 最後に行き着く 

命には 動物 人間 植物の差はなく
すべてが一体となって 永遠に続くのだ

という 尊い考え方は 
あのハゲで すっかりギャグになってます…。

どうしてあのハゲ姿にしなくちゃならなかったのかは
上記のような理由で監督的には

「これでわかりやすいだろ!」

的な決定打として 必須だったのでしょうが
そうじゃなくてもなんとか表現する方法はなかったんだろうか…。
くれぐれも惜しい。

さらに惜しいのは

この映画観て よ~~~~~~くわかったのですが

ヒューって キスシーンとかラブシーンとか 非常にうまい…。
特にこの映画 ヒューの舌づかいに 目が釘付け。
ファウンテン キス

テレビの前でつい正座しちゃいましたよ…。
ああ つくづく オーストラリア ラブシーンが短すぎたのが惜しい!惜しすぎる!!

って違うところで 残念がってしまったのですが
誰だ あのラブシーンあんな短くしたの!
DVDでのノーカット版が楽しみで仕方ありません。

とまあ ファン丸出しの適当な意見でしたが
あの世界にはまることができる人には
かなりトリップできる映画です。
あと ヒューのキスシーンを堪能したい人もぜひ!
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| エイガ | 19:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑















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