パンズ・ラビリンス - 現実と 幻想は 手に手を取って
お隣のおばさんが 試写会の券が余っているから一緒に行かない? と 誘ってくれたので
スペインとメキシコの合作映画
「パンズ・ラビリンス(パンの迷宮)」
を 観て来ました。
監督は メキシコ監督 ギジェルモ・デル・トロで、前には ミミックとか ヘルボーイとか ホラー専門といったところ。
しかし この監督の「デビルズ・バックボーン」という映画は なかなかに骨太だそうで 観たい観たいと 思いつつ いまだに見つからず。
昔観た記憶では 結構残虐描写が多かった・・・と 思っていたら やっぱり 今回も残虐描写が多く オーストラリア人 途中退席者続出!
一緒に行った オバサマたちも実は相当気分が悪かったそうだけれど それであきらめちゃダメだ!と 頑張ったそう。
さすがだわ オバサマたち。
元を取るのねw
そんな中 平気で映画を観続けた ワタシ、
「肝っ玉がある」
と 変な評価を受けました。
この映画は オーストラリアではとても信頼されている 評論家二人組 マーガレットとデビッドによると 4つ星半で 必見 とても魅惑的な映画 なんだそうですが 肝の小さい人には 勧められません。
第二次世界大戦中 暴力に取り巻かれた環境に いきなり 放り込まれた少女 オフィーリア が主人公。
もう11歳にもなるのに 未だに童話が大好きな オフィーリアが 義父となる スペイン軍大尉の元に 妊娠中の母と共に訪れる途中 森で出会った昆虫変じた妖精にタイトルとなっている パンの迷宮に 導かれ パンに 「あなたこそが 行方不明になった 地底の国のお姫様」と囁かれ お姫様と証明するためには 3つの課題を完了しなくてはならない と 言われ 彼女はお姫さまたるべく 課題に取りかかる。
残虐描写が苦手な人には お勧めできませんが 観て絶対損はない映画です。
怖い系ファンタジーが好きな方には 造型のグロ美しさも見逃せません!
もっと細かい感想は 続きに書きました。お時間ある方は どうぞ読んでやってください↓
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映画の出だし、本のページが開かれ 地上に憧れ地上へ来たものの 記憶を失ってしまったお姫様のお話が紹介されます。
おお、きれい!と 思うと 血を流した少女の顔がアップになり 映画がスタート。
その姿が逆周りとなり 時間がさかのぼり 何が起こったのかがこれから説明されるだろう と 観客は想像できるわけです。そして それが決して楽しい内容ではないことも 予想できます。
ダークファンタジーと 銘打たれている通り この映画 色々な 童話的要素が盛り込まれているので 何回か観ないと全部わからないかもしれません。少なくとも 一回観ただけの私には 全部のエッセンスを吸収するのは 不可能でした。
考えつく限りでは 主人公の名前 オフィーリアもシェイクスピアから 取られているのだろうし 階段を下りてたどり着く迷宮には 不思議の国のアリス が 思い起こされる。
最初の課題で着ていた ドレスも アリスっぽい。
オフィーリアは してはいけない ということをしてしまうしその罰を受けることにもなる。
迷路でオフィーリアを待ち受けていたパン。

山羊の角を生やし 山羊の足を持った パンは
「人は色々な名前で ワタシのことを呼ぶ」
と 自己紹介し 外観からも 発言からも 悪魔ではないか と ワタシは解釈しました。
そして このパンは男性であり 暗い中で 妖精を手下として扱っている姿は オフィーリアが嫌う キャプテンと重なり合い 役割も 最終的に重なり合っています。
この映画はスペイン内乱を背景としており 映画に出てくる 二人の女性 オフィーリアの母 と キャプテンの家政婦 実は パルチザンの 女性メルセデス は対照的に描かれ 映画上ではこれも当時のスペインの民衆の実の姿と 理想像を象徴するものかも と 思わされました。
弱い母は キャプテンの妻になることで 戦時中における母子家庭という弱い立場から 逃れよう コドモと自分を守ろうとしたのですが そうした 強いものについて 難を逃れようとするのが 多くの民衆だったでしょう。
それに対して 相手の懐にもぐりこみ 危機にあいながらも 自分の理想 社会のために 戦うメルセデスのような女性も いたでしょう。
どちらがよいとは 言わず ただ その二人を全く対照的に描くことで 人間のもつ本来的な強さと弱さが描かれ そこには 守るものがある人と 一緒に戦う人がいる人の違いが 浮き彫りになっています。その両方ともが オフィーリアにとって 母というべき存在であり 女性像となっています。
オフィーリアは 純粋な子供という存在から 母的存在へと映画中姿を変え 弱い母から 強い母へと さらに変貌していきます。
というわけで ある意味 この映画は 一人の少女が 子供から 責任感を持つ大人への成長を 果たす様子を描いている とも言えるでしょう。
さて この映画で 一番強い印象を残すのは フランコ軍の将校であり、オフィーリアの義父である キャプテンですが 彼の残虐性描写が とにかく際立っています。
勿論 行動でも示され 特に ゲリラ協力者と思しき 村人の尋問シーン は 総毛だってしまいました。
オフィーリアの母が キャプテンの妻になった経緯についても 台詞でさらっと 触れられていますが キャプテンの残虐性 冷酷な性格が わかるようになっております。
登場シーンからして 自分の妻と連れ子に会うのに 一欠けらの優しさも見せない。これはどういうこと?と ちょっとググってみたら こういうこと 書いてありました。
スペインの女性観として、「マチズモ」「 マリアニスモ」の思想があり、これは男性の肉体的 優位性を強調し、カトリックの聖母マリアに女性の理想像を求めるという考えに基づいている。この考えは 、女性が男性に従順であること、しっかり家庭を守ること、母性愛を発揮することを求めている。
出典:JICA国別WID情報整備調査
これらの特徴は キャプテンがオフィーリアと オフィーリアの母に求めるものと共通。そして 彼が待ち望んでいるのは オフィーリアの母がはらんでいるはずの 息子。
どうして息子とわかるのか と 質問されても ただ知ってるんだ と こたえるキャプテン。
万が一 それが娘だったら という考えはなく 自分の子供は絶対息子 と 信じてやまない。
キャプテンは 同じく軍人だったらしき父との絆を 常に意識しており 母の存在は彼の姿からは 全く感じ取れません。男性のみ 存在を認め 女性は 子孫を作る道具か 労働力としか 考えないキャプテン。
この姿により 今も色濃く残るという 女性に対するスペインのマチズモ(男性優位主義)を 表現しているのではないでしょうか。
人物分析はさておいて 造型的には パンもさることながら 第二の課題で遭遇した ペールマン と 名づけられたオトコが 秀逸です。オトナも夢に見るような怖さ。
これ↓

このペールマンのいる部屋で 一瞬子供の靴が山積みになっているのが 映し出され 一緒に観に行ったおばさんは この映画の時代背景が 第二次世界大戦ということもあり ナチスの強制収容所を思い出したそうです。
次々書きたいことは浮かぶのですが ネタバレになってしまうので あまり書けません・・・。こうしたネタを探してみるのも この映画の楽しみです。
多くの人を この映画から 足を遠のかせてしまうだろう 残虐描写ですが 歴史的に考えたら 実際にあったろう と 思えるものばかり。反逆者に対する拷問なんて 実際今でもイラクでも行われている。
映画で見ると 気分が悪くなる人も 自分が戦争なんていう 極限状態に追いやられ 暴力を振るう側になったら 果たして 気分が悪い なんていうでしょうか。何も考えずに そのまま 任務として やってしまうのではないでしょうか。もしかして 残虐極まりない キャプテンさえも 男性優位主義は 父親の教育のせいかもしれず そうすると 暴力や残虐性さえも 元々持っているのではなく 教育や社会によって奨励されたりするもの という 視点もあるように 受け止めました。
そしてまた 残虐描写は 童話には 欠かせないもの。
コドモの精神に悪影響を与える ということで カットされていたりしますが オリジナルには 多く残虐シーンが含まれているものが多いです。7匹の子山羊のお母さんは 狼のおなかを はさみで切り裂いて 重石をつけて井戸に沈めます。シンデレラのお姉さんたちは ガラスの靴に足を入れるために つま先を切ったりします。
そして 社会にも人生にも 残虐なものがあふれている現代。
ニュースをつければ 戦争 事故 殺人が 絶え間なく報道されています。そんなものは ないものとして 暮らしていますが 実際に戦争下にある国では 人々はどう暮らしていたんだろう 子供の柔らかい心は どう影響されていくんだろう。
そして 残虐なものに影響されず 戦っていくためには 想像力と希望 そして 正しいことを見失わない 強さが 必要なんだろう と 今更ながら 感じました。
オフィーリアは 現実を彼女の幻想世界に変換することで 残酷な現実から逃げようとしました。
しかし 現実の力は 幻想より強く 彼女は現実と立ち向かわなくてはならず それには犠牲を払わなくてはならなかった。
だけど そこで購われたものは 暴力の連鎖の切断で それこそが 現実のスペインで起こるべきことだった ということを 示しているようです。
それをすることが 出来たのは コドモであるオフィーリア。
現実に負けそうになっても 幻想に逃げることが出来る存在。残酷な環境の中 幻想を逃げ場とすることで 自分の純粋さを保ち 最後まで正しくあろうとする姿は 幻想なんて と 吐き捨てる 現実に疲れきり ややもすると 現状に甘んじてしまう大人たち そして 未だに 戦争のなくならない 現代に対する 監督からの 告発状なのかもしれません。
キャプテンを演じていたセルジ・ロッシですが 先日観た 堕天使のパスポートでも 同様に悪役を演じていましたが ポルノグラフィックな関係では ステキな男性でした。
そして メルセデス役マリベル・ヴェルドゥは Y tu mama Tanbien にも出ていました。
バベルもそうだったけれど 最近はメキシコが来てるようです!
調べてみたら 日本公開予定は2007年秋。
・・・遅い!
というわけで 随分早取り情報になってしまいましたが 本当に気に入った作品で 絶対もう一度観ようと決めています。
| エイガ | 20:41 | comments:16 | trackbacks:6 | TOP↑
ホラーファンタジー、好きです。スノーホワイトとか、ブラザーグリムとかスリーピー・ホロウとか好きな私には、合いそうですね。
それにしても、なるほどなるほど…。いろいろな象徴が散りばめられている作品なんですね。
| valvane | 2007/02/04 03:02 | URL | ≫ EDIT