Lost in Australia 

オーストラリアから 映画と英語と暮らしのことなど 色々と

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つぐない

シェアブログdokidokiに投稿

昨日 同居人が

「I am Legendがなかったから 代わりにこれ 借りてきた。 観る?」

と聞かれたので おそまきながら 観ました つぐない。

観ながら

「う~ん キーラ・ナイトレイのしゃくれ顎って やっぱ すごいよなー」

などと思ってると

「君の顎の線とそっくりだよねー」

と言われ 微妙な気持に…。
胸の平たさに加え そこまで似てるのか と ちょっと悲しい。
顔も似てたらいいんですが。

さて宣伝やサイトには

「ブライオニーのついた嘘」

とありますが あれ 嘘じゃあないんですよね。
美しい姉セシリアと 初恋の相手であるロビーのただならぬ様子を見て感じた嫉妬と 思春期の少女にある性的な目覚めと同時に感じる嫌悪 そして当時の封建的イギリス社会ではいかなる性的なものもけがらわしいとみなされる中で育ったブライオニーにとって 姉のみならず 同じく子供社会に属しているはずのローラまで含め 性的なものを見せつけられた一日。
それだけに 自分では大人だ と 思いこんでいるだろう13歳にとってすべてが衝撃的すぎだったのでしょう。

現代感覚でいえば 性的なものはいたるところにあふれかえっており 裸に水着なんでもあり。
だけど 舞台は戦前で ケンブリッジまで行く上流家庭 となれば 厳しいしつけがなされており それはブライオニーの着ている洋服にさえ見てとれる。13歳にしちゃ あの服は子供っぽすぎる…。

それくらい 大人と子供の境界はしっかりしていても 愛というものについて関心を抱くほどには大人であるブライオニーにとって この日は本当に大人になった一日。

そして 純愛であるセシリアとロビーの関係と 大人の醜い関係であり この事態の発端となった ポールとローラの関係が対比されてるのも さすが 文豪。

映画評のあちこちで

「こんな展開はありがち」

とか書かれていたりするけど この映画 本が原作だ と 考えると そうは言い切れない。
メタフィクションという点からするとそう言えるのだけれど そうせざるを得ないほど ブライオニーの悔いは深かった と考え そして 物を書く人にできること それは書くことだけ。

確かに最初は

「何にもつぐなってないじゃん!」

と思ったけど 後になって考えた。

つぐないをしたくても 何も 一切何もできない状態にあるならば せめて自分にできることをするしか つぐないの方法はないわけで そして 物を書く人が一番うまくできること 自分が奪った幸せを自分の手で返すには これしか方法がなかった と 思うとひどくせつない。
自分の罪をわかっているからこそ 本当に最後の最後になるまで つぐなうことができなかったのか と思うと ブライオニーの人生も悲しい。

本当にそのときは正しいと思ったことが 自分も含め色々な人たちの人生を狂わせていくことなんて よくあること。
そしてその誤りが誰かを責めて解決するならば 自分が責任をとって許してもらえるならば 自分の大切な人たちを傷つけ その幸せを奪ったことに比べれば それ以上に幸せなことなどないだろう。

多分この映画を見て ありがちだよなぁ と 感じた人は 人生の歯車を戻したい と 切望するような出来事が今までに起きたことがないのでは?
そういう人生の方が一般的に幸せなのだと思うし できれば人生そういう風に進んでいったもらいたいものです。
それよりも ローラのような人生のマイナスをプラスにするような人生が一番なのかも?






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