Lost in Australia 

オーストラリアから 映画と英語と暮らしのことなど 色々と

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スキャナー・ダークリー - 「ワタシ」という存在の耐えられない軽さ

映画館で映画を観よう というわけで 混んでいなかろう という理由と キアヌ・リーブスと ロバート・ダウニーJrと ウィノナ・ライダーが 好き という 理由で スキャナー・ダークリーを観た。

原作のフィリップ・K・ディックは よく ハリウッドで映画化されており これは かの名作 ブレード・ランナーの おかげだろう。中学生くらいの時に 何作か読んだが 正直言ってコドモにはよくわからないものだったので その後 手に取ることはなかった。

名作 ブレード・ランナーを除いては 映画化された映画たちは 有名俳優が 俺様を誇示する傾向が強い。トータル・リコールは 喜劇として 楽しめるものだったが マイノリティ・リポートに 見たのは 近未来への恐れもあったが 「オレ様を見ろ!」という 主演俳優さまの恐るべき姿で プログラム・ムービーということは このことか と驚いた。

しかし キアヌに ロバート ウィノナに加え ウディ・ハレルソンという どうもアメリカ映画界では メインストリームからはるかに外れている俳優たちを そろえた面子を見たら きっと一筋縄では行かないだろう と 予想できた。

今回も長いので お時間のある方だけドウゾ(ネタバレ多少あり)↓


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あらすじは あちこちで書かれているので省くとして ネットで読んだ限りでは ディックは自身麻薬中毒になり そのときの体験を元に この作品を書いたという。

というわけで 出だしはいきなり 麻薬中毒の男が 譫妄状態になって いもしない 体中を這い回る虫を退治しようとやっきになる姿が映し出される。

ハイテンポの音楽にあわせて 体をかきむしり、シャワーを浴び、飼っている犬の体にまで 虫を発見、一緒にシャワーを浴びる姿に 場内からは笑いが巻き起こっていた。

しかし それは 麻薬中毒症状を 知らない人だけが笑えるのであって 多少 麻薬中毒について知っているなら この笑えるハズのシーン 正直言ってぞっとさせられた。何もここまで はっきり描かなくても・・・と。

しかし 嫌悪感を引き起こさなかったのは 恐らく ロトスコープという アニメで映画が撮られていることが 原因と考えられる。

あちこちに 書かれている通り この映画は 一度実写してから ロトスコープという手法でアニメーションにしている。そのせいだろうか 出演俳優や周囲のもの 全てが一瞬 実物に見えるものの 次の瞬間には 絵になっている ということで だまし絵のような感覚を 観客に与える。実写にある臨場感が ぼかされるのである。なので もしこのシーン、実写なら全身から エグイ虫が沸いて出て 全身をもぞもぞうごめきまわる という 観客全体が 一緒になって ぼりぼり体をかきむしってしまいそうなことになっていたハズ。

この 夢だか現実だか わからない感覚は もしかして これは この 麻薬中毒者の頭の中を覗いているのか?と 不安を引き起こし、しまいには この現実感のなさは 麻薬捜査官でありつつも 実際に麻薬中毒になってしまう 主人公 ボブから見た世界に重なっていく。

ボブにとって 自分という存在が あやふやになる理由は 麻薬による副作用もあるが 実際に自分が所属している場所である 警察において 囮捜査官の匿名性と安全を保障するため スクランブル・スーツを着用し コードネームを使うことで 本来あるべき場所で 偽の自分 本物の自分を知られないようにしなくてはならないこと、しかし 囮捜査官として働く、というか 殆どの生活を過ごす時間は 偽の自分であるために 本物の自己の姿と 本名である ボブ・アークター を 使わなくてはならない という 本物の自分と 偽物の自分 について 他者が認識するのが ねじれていること によるのだろう。

本物の自分が 偽の姿 偽の名前。
偽の自分が 本物の姿 本物の名前。

人間 とは 個の存在であり 社会という 多数に対する 個 という認識が近代的自我の根本にあるが その考えは 他者からの認識 他者という鑑を通じてのみ 個人は存在しえる という 近代以降の思想になんとよく 添った コンセプトであろう。

マイノリティ・リポートにも見られた 極端な監視社会 という ディストピア的世界観は この話にもはっきり現れており 監視の目は世界を覆っている。

自分を監視する という フレッドの任務は 社会という他者による認識 ではなく 自分をまず他者として カメラの中に捕え 観察する対象とし置きなおし 改めて第三者として認識する という 行為を必要とする。 つまり 自分という人間を 他者という鏡を使わず 自分そのものを鏡とするわけで すなわち 自らの他者化であり 離人症の症状と重なってくる。

そして 本物の自分の姿 本物の自分の名前を持つ 偽者の人物を演ずるうちに 次第に同居のジャンキーたちと 恋人への親和性を高めていく 監視者フレッドは 映像の中の ボブ=自分であることを認識し 全ての行動も記憶にあるが それは 今ここにいる自分のものなのであり、 その感情も生活も 「フレッド」は 覚えている。しかし それは 「ボブ」のものであり 「フレッド」のものではない。フレッドはボブであるのにもかかわらず フレッドは社会的には ボブではないのだから 自分の覚えている記憶も友人も全ては 自分のものではないことになる。

恐るべき堂々巡り。

自分自身から遊離しているだけならまだしも、ボブ=フレッドが 一緒に暮らしているジャンキーたちも たまたま 同居しているのみで そこに友愛などが存在するわけもない。麻薬をやっては ハイになり くだらないことをしゃべり くだらないことをして その日を暮らし 将来もなく ただただ 日々を消費するのみ。そこには 人間が欲する社会=真の交流、心の交流 というものは 存在せず、ボブ=フレッドは 社会との接点を 真の自分の姿、名前で見つけることは不可能になっている。

この仮想生活の中 ボブ=フレッドが 唯一心を許しており 救いを見出しており 自分の心からの愛情を注いでいるのが 恋人ドナだが そのドナは 麻薬常用を理由に体を許さない。ボブ=フレッドは 自分の肉体と 愛する女性の肉体の接触が不可能であるわけで これまた 自分という肉体、スクランブルスーツで 匿名化され、また 監視されたがために 他者として認識せざるを得ず 自分のものではなくなってしまったボブの肉体 を確実に認識できる手段が 彼からは奪われている。

つまり ボブ=フレッドは 職場という社会的構造、友情という社会的構造、恋人という社会的構造 大きなものから 個人的なものまで 全ての社会構造において かかわりを持つことが許されていないわけで 彼の精神が蝕まれていくもの 当然であろう。人間は社会的動物である。そこに生きる場所がなくては 生きていけない。

そして 警察も 囮捜査官として築き上げてきた ジャンキー仲間との共同生活も 全てが崩壊してしまった ボブ=フレッドに残された物は 何もなく 彼自身も崩壊していく。

解決策は提示されないものの 全てを失った 元ボブ=フレッドは 暗い監視から 明るい監視状態へ移されたものの、わずかながら彼の中に残されたものがあったように描かれ 麻薬による犠牲者となった ディックの友人への献辞が映し出され 憂鬱なRadioheadの音楽と共に 映画は終わる。

この 二つの人格の乖離だが 最近ネットの発達のせいか 離人症状を起こす人が多いという。ネット人格と 本物の人格 それが乖離しやすい というのだけれど 果たして本物の人格なんてあるのだろうか?今 ここで ブログに書き込みをしている ワタシ と 社会における 私 と 家族に見せる わたし と 連続しているからといって 全てが「ワタシ」であり「ワタシ」ではない。
麻薬がなくても 常時接続できるネットの海で 仮想人格を作り上げ 世界中の人々とつながっているという幻想を抱きつつ 実際には誰とも直接には知り合いがいない ということだってありうる。

そう考えると 「ワタシ」という存在は なんと脆弱で 不確かなものだろう。

気持ちが沈んだときには見たくない、 観る人を選ぶ映画ですが 原作を読みたくなりました。

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| エイガ | 20:00 | comments:4 | trackbacks:2 | TOP↑

是非観てみたいです。

プリシラさんの感想を読んで、とても観てみたくなりました。
自分って不確かなものですもんね。
ブログ、仕事、環境によって全く違ってたりしますし。

考えると堂々巡りで疲れそうなので、アドバイス通り、元気な時に観るようにしますw

| おこうちゃん | 2006/12/14 12:15 | URL |

おこうちゃんさんへ

原作を読んでから観ることをお勧めします。その方がきっとわかりやすいと思います。他のブログで「わかりづらい!」と言われていましたが、どうやら 西洋では割とこの作品、ディックの名作ということで「基本」っぽい扱いだそうなので、観る人は既に原作読んでいる扱いなのかもしれません。

考え出すときりがないので 疲れていないときがいいですよ、真面目に(w 映画観てから 8時間くらい考えていました(⇐ 暇人 ともいう)

| プリシラ | 2006/12/15 12:08 | URL |

こんばんは

プリシラさん、こんばんは!

この映画が今までで一番ディックらしい作品になっている気がしました。
ディックの作品には自分という存在の不確かさというのが通奏低音のようにあります。
「我思う、故に我あり」というデカルトの言葉も、ディックの世界観ではかなり怪しく思われます。
自分があることすら疑わしいという不安感、自分というものがないという不安感みたいなものがこの映画には出ていたような気がします。
原作も是非読んでみてください。
ただ、色々考えてしまうので、エネルギーのあるときに(笑)

| はらやん | 2007/01/28 22:11 | URL |

はらやんさんへ

個人が確かである という 概念は 近代思想の原点ですが 近代から現代になり その思想もあやうくなってきている というのが 新しい現代思想 と どこかで読みました。ディックって 先端を行き過ぎていたんですね・・・。

原作 英語で読みます 頑張ってv-12

| プリシラ | 2007/01/29 10:00 | URL |















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