Lost in Australia 

オーストラリアから 映画と英語と暮らしのことなど 色々と

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朗読者を読み終えて

朗読者 朗読者
ベルンハルト シュリンク (2003/05)
新潮社
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随分前に買ってあったこの本、「朗読者」。
ドイツ語から英語に翻訳したものを一ヶ月ほどかかって読了しました。
ネットとかの方が面白くて、つい。

全体は二部に分かれていて、前半は15歳の少年と35歳の謎めいた女性の恋愛物語。

肝炎を病んでいた少年(名前は明かされない)が道端で気分を悪くしたところを助けてくれたのがこの女性。
性的に目覚めつつある少年と孤独に暮らす女性は性的関係を結び、二人の関係は支配-被支配関係にあり、年かさの女性が支配的な立場にある。
少年の父は高名な哲学者であり、ある日ハンナは少年に本を朗読してくれるよう頼む。
それと同時に自分との関係におぼれるのではなく、学校を第一に考えるように諭すハンナ。
学校に無事戻ると共に、自分をなかなか明かさないハンナに苛立ちを感じつつある少年は次第に距離を置くようになり、ある日突然、ハンナは別れの言葉もなく少年の前から姿を消す。

それから年月がたち、少年は大学法学部へ進学。
ハンナのことを忘れられないまま、優秀な成績を修めてナチス裁判見学をする。
その被告席にいたのがハンナだった。
ハンナはナチスの戦争犯罪にて裁かれる立場になっていた。
裁判が進むにつれ、少年はハンナがなぜ孤独な暮らしを送り、自分の前から突然姿を消し、戦争犯罪で裁かれるに至ったかを知るようになる。

基本的には前半がエロで、後半がスリラーです。

前半のエロは

女性が35歳!男の子が15歳!犯罪じゃん!

と思ってしまったらもうダメ。
その人は先に読み進むことはできないでしょう。

しかし海外であたりを見渡すと

「キミはどう見ても二十歳過ぎだろ!」

という15歳、16歳はざらなのです。
そしてニコール・キッドマンだのナオミ・ワッツだのを見ると、この組み合わせはあり得なくはない、と納得出来たら障害クリア、です。
まあ、お風呂に入ったり、とソフトポルノ感は否めませんが。

しかしここでこのソフトポルノ感に負けると作者の真意を汲み取るのは多少難しくなるかもしれません。
ここで描かれるのは

支配者と被支配者

の関係で、次の章で語られるハンナが女性看守だった、という事実を反映しようとしているのではないでしょうか。
ハンナが支配者=ナチスで、少年が被支配者=ユダヤ人などと見るとわかりやすいかもしれません。
勿論、少年は自分のハンナへの想いという積極的な要素はありますが、被支配者であることには変わりありません。
被支配者は次第に支配されることに不満を感じ、その立場を解消しようとします。

第一章が示唆するのは理想的な支配-被支配関係の解消でしょう。
軋轢なく、突然と消える関係。
被支配側では何故?という想いは残っても、軋轢なく解消される関係は一種理想的です。
そして支配者の姿は被支配者の記憶にいつまでも残ります。

彼の場合、この支配-被支配関係は自分から進んで立ち入ったもの。
そして支配者であるハンナは支配を進んでしたのだろうか?
もしかして被支配者の意志がなくては成立しなかったのでは?
この二人の関係は一見、年かさのハンナの方が被支配者に見えますが、実際は支配していたのは少年の方ではないのか?という疑問が湧いてきます。
それゆえに少年は支配者であるハンナを切り捨てることが出来、少年の関心が衰えつつあるところでハンナは姿を消します。
支配者と被支配者の関係はここでは相互依存の関係とも受け取れます。
互いに必要としあう状態がなくなってしまったところで、関係は絶たれます。
互いに憎みあうことなく、関係が終了する。
理想的な終わりです。

第2章は実際、ドイツで普通の人々がどのようにナチスに関わって行ったかが描かれます。
裁判のシーンに入り、ハンナが少年の思っていたような決断力のある女性ではないことを裏付けるかのように、過去には決断力はなく、単に命令に従うだけで自ら思考することがなかったことが明らかになります。

そしてそのことを知ってから前半のハンナを見ると、単なる主人公の協力者に見えてきます。

つまり主人公の希望をかなえるために、その行動に加担したわけで、実際に支配しているのではないのです。
この支配-被支配の関係は主人公とハンナの共同作業による産物とも受け取れます。

傍観するだけで何もしない主人公は、彼女の人生を支配しています。
最強のカードを持ちながら、彼女を救う手立てをもちながら何もしない。
この主人公を含め、女性看守を裁く人たち、彼女に全ての罪を押し付ける人たち、何もしない人たち、それは戦後のドイツでありながら、戦時中のドイツ人そのままなのかもしれない、とふと思う。

何もしないのは、多分、ドイツ人自体がまだ自分たちが一体どうすべきだったのか、答えを模索中だからかもしれない。

裁判中、ハンナは裁判官にこう尋ねる。

「じゃあ、私はどうしたらよかったんですか?」

それは戦争犯罪に関わった人々のみならず、戦後ナチスを批判し、それを培ったドイツ自体を責める人々へのドイツからの問いかけなのかもしれない。

過去は変えられない。
だが反省をすることはできる。
しかしそのためには自分がどうすべきだったのか、答えを示して欲しいのは当然だ。
間違っている、と相手を糾弾するのは易しい。
しかし、それを改善する手段を示すのははるかに難しい。

作品中で裁判官はハンナの素朴な質問にこたえることはできない。
しかし、主人公の父親は同様な主人公の質問に答えてくれる。
それは理性的に本を読み進める読者(これまたReaderであるが)には納得いく内容である。

だが主人公はせっかくのアドバイスに対して何も行動を起さない。
彼はただ悩み、何もせず、言い訳をし、全てを後回しにするのみである。
そしてこの無行動が最後には悲劇を招く。

この主人公を現代ドイツ人と見ると、著者はもしかしてドイツ人の無関心さを糾弾しようとしているのかもしれない。

ナチス問題という重要な問題に関わったものの、責任を取ることなく、ただ傍観し、手をこまねき、些細なことに気を取られ、真に大事なものを見失う。
そして最終的に悲劇を招く。
一つ手段を講じていれば、防げたはずの悲劇である。
主人公はどうして何もしなかったのか。
過去の亡霊を葬りたかったのか。
何か怖いものでもあったのか。
最後まで読んでいてわからなかった。

この構図、「無行動」は戦前のドイツ人だけではなく、戦後のドイツ人にも当てはまる、と言いたいのだろうか。
戦争があったこと、自分はそこには直接関係ない、と目をそむけることで、何もしなかったドイツ人を糾弾しようという意図なのかもしれない。

ハンナは思考停止ゆえに行動できなかった旧世代のドイツ人。
主人公は思考しながらも行動を起こさない戦後世代のドイツ人。

どちらも必要な行動をとらなかったがゆえに悲劇を招く。

だがどちらが罪が深いだろうか?

考える力がないため、愚かさゆえ、無知ゆえに罪を犯した人たちと、考える能力をもちながら行動をしない人たちでは、後者の方が罪が深い、と私は考える。
そして自分はそうはならないように、と自戒した。
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| 英語 | 13:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑















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