Lost in Australia 

オーストラリアから 映画と英語と暮らしのことなど 色々と

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華麗なる恋の舞台で (Being Julia)

ジュリア1

この映画 製作されたのは 2004年。
2005年当時観に行こうと思っていて 気づいたら終わっていたのを覚えています。

実はアネット・ベニング って 

「美しい!」
「最高の美人!」

と よく書かれていて 

「えー!そんなことないじゃない!」

と 思ったのと 美人と言われているのが憎たらしかったというのは嘘で 近所で上映されていなかったので 観にいけませんでした。

最近ようやく行ける距離内にDVD屋さんがあるところに越したので 借りてみました。

主人公ジュリアは 有名なベテラン舞台女優。
その演技力と美貌で イギリスのみならず アメリカも席巻。
しかし 最近 燃え尽き症候群にかかり 何か新しいことが起こるのを待ち焦がれているが 本人にも何かは不明。
そんなところへ ジュリアを女神のように崇める アメリカ青年トムが登場。
トムと関係を持ち これぞ 自分が待ってたもの!と 小躍りするも トム側はすぐに飽きを感じ 若い女優志望の娘に乗り換え。
プライドを傷つけられたジュリアだが 若い女優への役の斡旋を頼まれても 快く引きうけ 彼女を舞台の主役にするかのような行動をとるが そこには彼女なりの考えが あった・・・

というのがあらすじ。

原作を読んでいないのですが 出てくる役に無駄がない。
二人の大人の役者 アネット・ベニングと ジェレミー・アイアンズが 場をしっかりとまとめ その他のキャストが脇を埋める。

若い二人もなかなかよい。

トムを演じる役者さんはイギリス人だそうですが きちんとアメリカ訛りを身につけ 若いならではの傲慢さ を 発散しておりました。

若い女優かつ トムの恋人となるエイヴィスは 

「カワイイ カワイイ」

と連呼される割に 下っぷくれで あれれ?ってとこ。

中でも マイケル・ガンボンの演じる ジュリアを女優として大成させるに至った演技の先生で ラングドンは 最高の役回り。
こんなおいしい役って なかなかないと思います。
ジュリアを 死後も 叱咤激励する役なんですもの。

ジュリアの夫 マイケルの イギリス紳士ぶりも笑えます。
紳士っぽくても 中身はやっぱりイギリス人。
ジュリアとマイケルは 倦怠期ではありながらも やっぱり割れ鍋に綴じ蓋 この妻にしてこの夫アリ。
夫婦って 実際こんなもんだよなぁ~と 思わずにんまりしちゃいました。

30年代のきれいな衣装も見ものだし 劇場の雰囲気 大戦前のロンドンの華やかな社交界を体験するだけでも 見ごたえあり。
しかも 見事な台詞の数々。
はっきりモノをいわずとも 伝わるあれこれ。

大人の女性のための映画ですね、これ。

細かいことは 続きにて 書いておりますので お時間があれば ドウゾ。

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さて この映画 原題は

Being Julia

つまり 

「ジュリアであるということ」

ジュリアであるってことは なんぞや?

という疑問に始まり

ジュリアは ジュリアである

ということを 確認して 映画は終わります。

映画の幕開きは ラングドンのドアップ。

いいか オマエには 才能がある
だけど 使い方をまだ知らない
観客に 見せ付けてやるんだ
人をひきつける力があるんだから
いいか 劇場だけが現実だ
外の世界の現実と呼ばれてるのは あれは幻なんだ

と 台詞が終わり ジュリア登場。

そう これは ジュリアの頭の中で いつまでも ラングドンが 彼女を役者として コーチし続けていること
そして 彼女の中では 彼の言葉どおり 劇場こそが 現実 生きる場所 そして 外界は幻 夢の中 ということになってる ことを示唆しているわけです。

ジュリアにとって 劇場こそが 全て。
勿論 夫も子供も愛しているけれども それはどこか 夢のよう。
舞台も成功しているけれども どうも今ひとつ 新鮮味がない。
型どおりの毎日。

このジュリアという大物女優が代表する 中年女性の心境と共に ジュリアという女優と言う生き物が 女優としての心構えを取り戻す姿を この映画は描いています。

「有名女優のジュリアである」 ということがどんなものであるか 映画の前半では詳細に描かれています。

舞台では賞賛を浴びるものの 生活の全てが舞台に捧げられ 外出すれば 人々の注目を集め 私生活といった物は 存在しない。
自分の話す言葉を 事務所であっても一般の人に知られないよう イメージの保持に努める。
プライバシーはあってないようなもの。
ジュリアはどこに行っても 「あの 大女優 ジュリア・ランバート」 でなくてはならないという 義務を負っている。

洗練されたロンドンの社交界では ワインを飲み 上品なドレスを着て 立ち居振る舞いを美しく ということが 暗黙のコードとなっているけれど 当のジュリアは 田舎育ち。

ビール飲んで ジャガイモ食べて 好きなだけ油っこいもの食べて という生活が 今でも忘れられないけれど イメージ戦略のために 上流階級の振る舞いを要求される。

そんな彼女のイメージを崩そうかとでもするように 昔近所に住んでいた女性が 昔話をすると それを 小気味よく蹴散らすジュリア。

私生活でも演技を要求されているにも 関わらず 心の中では 未だにカントリーガールのジュリアは イギリスが階級意識に捕われていること その欺瞞をも描いているのかも。

そして 「女優ジュリア」であることに 疲れたジュリアは
青年トムとの恋愛により 自分を再度発見する。
青年トムは 彼女の失った若さ であると 同時に 歴史のある国イギリスと 新しい若い国アメリカを この二人に重ね合わせているのかも?

この若ものに 手ひどく裏切られた ジュリアは 

自分は 年をとっても「あのジュリア・ランバート」であり 「女優ジュリア」こそが 自分である。
「女優ジュリア」でないならば 自分は何者でもない!

と 改めて発見し その後の ジュリアの美しさには 正直驚いた。

映画の最初に出てくるジュリアは 美人とはなっていても かなりくたびれている。
エステを毎日繰り返しても 毎日の生活に疲れ 退屈しているせいか アップになると 皺がはっきり 表情も疲れているのが わかる。

トムとつきあうようになり 満ち足りた日々を送っていても その表情には さほど変わりがないように見えた。
勿論 新しい恋に酔い 若い恋人のために エクササイズに励むジュリアは ほほえましいけれど 彼女が本当に美しく見えるのは 自分が女優であるという 認識を 失恋によって 新たにし 幻となって現れるラングドンの アドバイスにより トムを引き戻し ある計画を実行しているときなのです。

若い二人の中に見る 冷酷さ 傲慢さ 世界は自分のためにある という 万能感は ジュリアにはありません。
その代わり 年齢を重ねたものがもつ 経験に裏打ちされた 落ち着き 計算 忍耐が 最後にジュリアを報います。

この計画には ラングドンの指示が常に伴い これは つまり ジュリアが初めて 自分が女優である という 事実を受け入れたことを 示しています。
無意識にではなく 意図的に 他人を操るために 演技をする。
ひどくいやらしく 自己中心的ですが ここまで徹底されると あっぱれとしか言いようがありません。

そして 映画の後半のジュリアは 本当に 生き生きとし 例え老眼鏡をかけていても 地味なドレスを選んでも 若い女優に負けず劣らず いや 勝って美しいのでした。

本番の舞台で ジュリアは 自分が 「ジュリア・ラングドンという 本物の女優」であることを 証明してみせます。
その姿には 誰もが拍手を送らざるを得ません。
考えたら ものすごく意地悪なのですが 許してしまいます。
だって ジュリアは女優なのです。
演じて 目立って この世の中で 一番かわいいのは 自分!という 自己中心でいてよい 唯一の職業人なのです。

自分を取り戻し 自分が誰か 自分が何をすべきかわかって 初めて 自分でいられる。

Being Julia とは そういうこと。

変化のない人生に 自分を見失っていたものの トムへの失恋をきっかけに 自分が自分であることを認め 自分は 「女優ジュリア」 なんだから それ以外には なりえない 自分でいようとすることで 人は生きていけるのだ と ジュリアは高らかにうたいあげるよう。

しかし 女優である ということは 周りの人にとっては 少々難しいこと。
 
ラングドンの台詞通り ジュリアは女優 舞台が彼女の人生そのものならば 彼女の私生活は幻で それならば死んだはずのラングドンが どこにでも現れるのは当然のことです。
彼も幻なんですから。
そして 演技のコーチが日々生活を共にしており 実生活のあらゆる場面で 口を挟む ということは 彼女自身の幻影ということもあるけれど 周囲の人が 

果たしてジュリアは 自分の前でも演技をしているんじゃないか?

と 疑いかねない ということでもあります。
つまり ジュリアの本当の素顔を知ることは たとえ家族にさえ出来ないと 思われているということですから。

それでも 夫のマイケルは 同じショービズ界に生きる仲間。
その感覚は十分に承知しているでしょうが 息子のロジャーは違います。

演技は人生の一部であると 理解していない ロジャーは 母である ジュリアに 本当にお母さんなのか それとも母という役を演じているだけなのか たまにわからなくなる と 告白するほど。

しかし よく考えたら 普通の人々も 恐らく 誰かといるときは その相手が期待する像を演じていることが 多かれ少なかれあるでしょう。
家族といるときは 親 兄弟 姉妹 子供 の 役割を演じ 学校にいれば 生徒 教師 職場では 上司 同僚 部下 などなど。
社会生活を営む上では 人は自分の役割を 人生の各ステージで演じる必要が生じます。
そんな時 人は 自分が 何か役柄を演技しているのではないか と 疑うことはないのですが 女優という職業柄 いつでも演技をしているジュリアには その境界さえ曖昧になってしまっているのです。

映画のラスト 一人になって 自分の好きなものを 存分に注文するジュリア。
そのとき 彼女は 女優ジュリアとしてまとわなくてはならない姿を脱ぎ捨て 家族や友人を前に役を演じることからも解放され いつでも彼女と一緒で レストランにいるときさえも ついてまわり テーブルを用意するラングドンを 頭の中から ふるい落とし 

「今日は一人なの」

と 女優ジュリアとしてではなく やっと初めて 素顔の「ジュリア・ランベール」になれたことが ずっとほしがっていた ビール ステーキと ジャガイモを注文した様子で わかります。

Being Julia というタイトルには こんな深い意味があったのです。

そしてまた、この映画は 女性に起こる中年の危機についての映画でもあります。
アメリカン・ビューティでは 男性の中年の危機でしたが 100年くらいも前に(注:実際は 1937年に執筆でした) こんな作品を書いたなんて モームって 天才。

仕事も家庭もキャリアも順調。
だけど 女性の46歳は更年期。
特に女優は美人であっても 年齢を気にしなくてはならない。

多くの女優が40歳を越しても美しさを保っているのは 勿論お手入れのよさもあるだろうけれど 美容整形という 助けを使っている人も多いだろう。
それくらい 女優にとって 女性にとって 若さと美貌は重要なもの。

美貌と若さがなくなれば 観客は非情にも 他の若い才能ある女優に心変わりするだろう。

天才的にカンのいいジュリアは そんなことをわかっているのでしょう。

「疲れちゃった 休みたいわ」

と繰り返すのは 確かに仕事仕事で疲れていることもあるだろうけれど そのまま観客からの関心を失って 女優として存在価値を無くす前に 自分からいなくなろうという 想いがどこかにあるのではないだろうか。

そんな心境わかってくれる人なんて 当然周りにいるわけないし 彼女自身プライドの塊なもので 付き人にさえそんなこと口に出せない。
何せ女優ですから。

ジュリアは 青年トムに出会う以前から 上流階級の恋愛ごっこ を楽しんでおり どちらかと言えば ジュリアは この長年の交際相手 カーター卿に恋愛感情というよりも 誰かにそばにいてほしい 誰か夫以外で 自分を賞賛してくれる人 女性として認めてくれる人が欲しい という 現われのようです。

この気持ち 既婚女性で 長年一緒に暮らしている方なら映画館できっと

「わかるわぁ」

と ため息をつくところでしょう。

だけど カーター卿は 世間の評判を口実に ジュリアと距離を近づけようとしない。

例え 精神的には満足していても 肉体的に

「このまま ワタシは終わってしまうんだろうか」

という なんとなくの不安 と 若さと美貌を失う恐れを潜在的に抱いているジュリアの前に 若いハンサムな青年トムが登場。 
大女優のジュリアを恐れもしないでまっすぐに ジュリアを美しいと褒め称える姿は アメリカ人は自分の感情に素直という認識であると共に 若さの証拠でもあり 自分の才能と美貌への素直な賞賛と 自分を女性として認め 肉体的接触を求めてくるのに ジュリアが抗えないのは当然なこと。

自分と半分くらいの年齢の青年に 言い寄られるなんて 自分がまだまだ 女性としてイケテル!という 自信回復につながること 間違いなし。
女優として 女としての エゴを満たされる機会を逃すわけがない と 女性ならわかりますよね。

そして 若い女優の登場は 彼女の満たされたエゴを揺るがします。
これも 年を取ってきた 美女にはありそう。

自分の立場を取って代わられる という 不安は 的中し トムは彼女と恋に落ち しかも オーディションをしたら 

「第二のジュリア・ラングドン」

などという噂まで。

若さ 美しさ 恋人だけではなくて 自分の地位まで奪われる。

女優としての地位を掴むためには 恋人だけではなく 使えるものなら何でも利用する という このエイヴィスは ジュリアの 若い頃の姿 なのでしょうか。
なにやら イブの総て という 映画を彷彿とさせます。

この映画では ジュリアは見事に 女優であり続け 女優として 出来る最高の復讐を見せてくれます。
それは ついでに いつもどおりのお互いをしか見ていなかった 倦怠期にある夫婦に 改めて 自分が相手の何を愛していたか 自分にとって 大事な物は何なのかに気づかせ 登場人物の一人に 見つけられないでいた ジュリアの真の姿をわからせ 初めてジュリアを受け入れることを 可能にさせてくれます。

ジュリアは 自分が自分であることを肯定し 受け入れることで 中年の危機を克服していくのが アメリカン・ビューティの ケビン・スペイシーとの 違いです。
この映画にも アネット・ベニング出演していましたが。

中年の危機に際し ジュリア同様に自分より若い異性に欲情したものの 結局は自滅していくケビンに 現代人の弱さを見るか それとも 男性という性の弱さを見るか 失恋で傷ついたプライドを梃子に 蘇るジュリアに 昔の人の 強さを見るか 女性の強さを見るか 観る人次第だと 思います。

さて この映画のポスターですが 日本版のほかにまだ種類があるみたいです。

ジュリア2

このポスターだと ものすごくシリアスな映画みたいですね。

ジュリア3

ロンドン社交界 の 雰囲気が出ていて これもなかなか よいですが やはり 日本版のが 一番 映画の内容を表しているような気がします。

それにしても 観終わって トムが イギリス英語がわからなくて 名前当てゲームができないシーン わかるわかる!と うなずいてしまいました。

オーストラリアに初めて来た時 単語の意味がわからない!
Capsicone って 何の意味ですかって 聞いたら バカにされたの思い出してしまいました。
同じ英語圏でも 使う単語や言い回しがわからないと 基本の単語でさえもわからない!という よい例でした。

・・・ちょっと 下品でしたが これまた ジュリアが元々は普通の人だった と表す よいシーンだったと 思います。

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| エイガ | 23:03 | comments:2 | trackbacks:4 | TOP↑

海外版ポスター

おはようございます。

いつもながら読み応え十分のレビューでした。

海外版のポスター、オモシロいですね。
50年代のヒッチコック的な雰囲気が漂い、
少しサスペンスが入っているのかなと勘違いしてしまいそうですね。

| えい | 2007/02/23 10:33 | URL | ≫ EDIT

えいさんへ

いつもコメントありがとうございます。

上の方のポスターですよね。
確かにサスペンスものっぽいですね!

考えると アネット・ベニングって アメリカ人 でも映画では イギリス女優を演じ トム役の彼は 本当はイギリス人 でも アメリカ人を演じ と。

あ 記事の中で ジュリアの年齢と これが書かれた年を間違っていたので 訂正しておきます。

| プリシラ | 2007/02/23 12:37 | URL |















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華麗なる恋の舞台で/アネット・ベニング

公開前の予告編の段階ですけど、実は「ヘンダーソン夫人の贈り物」とちょっとごっちゃになったりましました。どちらも舞台劇が題材になってるし、物語の背景は「ヘンダーソン夫人の贈り物」は1937年のロンドンでこちらは1938年のロンドンですから雰囲気も似てるわけですよ。

| カノンな日々 | 2007/02/22 23:13 |

『華麗なる恋の舞台で』

(原題:Being Julia)----このイシュトヴァン・サボーって監督、『太陽の雫』という叙事詩的大作を作った監督だよね。「ああ、あれはオモシロかったね。20世紀のハンガリーを舞台に、主演のレイフ・ファインズが3代に渡る主人公を演じ分け、3時間があっという間にすぎていっ

| ラムの大通り | 2007/02/23 09:34 |

華麗なる恋の舞台で

人生は華やかな舞台のよう・・・

| シャーロットの涙 | 2007/02/23 13:46 |

「華麗なる恋の舞台で」

渋谷Bunkamura ル・シネマで2007年正月第2弾として公開予定の「華麗なる恋の舞台で」の試写。2005年ゴールデン・グローブ賞主演女優賞受賞作品。イシュトヴァン・サボー監督。ロナルド・ハーウッド脚本。出演はアネット・ベニング、ジュレミー・アイアンズほか。美しく、颯

| やまたくの音吐朗々Diary | 2007/03/09 02:15 |

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