Lost in Australia 

オーストラリアから 映画と英語と暮らしのことなど 色々と

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リトル・チルドレン - 母子関係という神話

居場所のない人々 
Little Children


最初 これはコメディではないかと思い 笑っていいのか悪いのか とまどってしまいました。

イマドキ 歴史とか コスチューム系の映画くらいしかない ナレーション。
しかも 重々しい男性の声で。

だけど このナレーションのおかげで この映画 却ってコメディっぽく 響いたように感じます。
多分 それって 監督の意図するところじゃ 全くなくって どちらかといえば 原作に対する敬意と 登場人物の気持ちを描写するためだった とは 思うんですが 観ているワタシの脳裏に浮かんだのは 特撮ものなんかで ナレーターが

「では 解説しよう!」

とかって どうして 変身するようになったか とか 弱点を説明するシーンだったので どうにも おかしくておかしくて。
しかし その笑いは 映画が進むにつれて 次第に減っていくのが残念な点でした。

真面目な映画なのに笑えるというのは とても貴重なので。

映画の中心は 母と子の関係 と 世間の母というものに対するイメージと期待 そして 実際の母というものになった 女性の葛藤。

よくできた きちんと練られた脚本で 出てくるキャラクターにも説得力があります。
ラストが少々残念ですが 観て損しない作品です。

詳細な感想は 続きに書いていますので ご興味のある方は どうぞお読みになってください。


この 映画は 母という存在を中心に 自分の居場所探しをする人々の姿を描いていますが 映画には 3つの母親像が描かれます。

主人公のケイト・ウィンスレット 演じる サラは 英文学で博士号を取ろうとしたものの 博士論文を提出せずに 結局修士号を取得。
現在は 2歳の娘を持つ母で コンサルタントとして高収入を得ている夫と 会話のない夫婦生活を送っています。
高い知能を持つのに 今では 郊外で 「いい母親」 という姿のみを期待され 近所の公園でママ友しか話し相手がおらず そのママ友の 女子高の続きのようなヒエラルキーと 中身のない会話にうんざりする毎日。

いわゆる 公園デビューとか ママ友のような関係が アメリカ郊外にあることがわかって驚き。
あんなのは 日本みたいなとこにしかない!と思っていたし こちらの雑誌にもそんな書き方がされていたけれど 映画の中のまま友の様子を見ると 日本のそれと大差ない。

おやつの時間は何時とか決められていて お当番で何かをしたり ボスがいたり。

サラは 学業でも 夫婦生活でも 追求していたもの 自分が得られると 期待していたものを得られず 母親となることで与えられると 世間から教え込まれていた満足感も得られず しかも夫はインターネットポルノにはまっており 母親としても 女性としても 自分の存在意義を感じられない。

中身のある話をしたくても そういう相手が見つけられない。
肉体的にも 精神的にも 社会的にも 満たされない存在であり 娘は母を一心に慕っているものの それだけではない 何か 他の何かがあったはず という やりきれなさを抱えている。

サラは 世間が抱く

「母は子供がいれば 自然と愛情を抱くもので 子供が与えてくれる以上の喜びはない」

という ステレオタイプに対するアンチテーゼなようです。
そして 女性は母親たることが 存在意義を与えるという 世間の無自覚な取り決めに 孤独な戦いを挑んでいるのがサラでもあります。

また 彼女がこれほどまでに 現実を受け入れるのに抗っているのは 自分が現在の状況を選択したのではなく もしかしたら 他に選択肢があるかもしれない という考えがあるからでしょう。
彼女は 現在の環境に閉じ込められたように感じ 自分の意思に従って選択する自由が失われてしまった と焦燥感と恐怖を抱いているわけで その考えの中では 子供さえも 自分の足かせになってしまうのも 仕方ないことです。 

サラが 公園ママたちのアイドル 「プロム・キング」とあだ名される ブラッドは 主夫で 妻の方が収入がよいので 子供の面倒をみるために 夫が家庭を守る立場に立っているのですが 彼も 今までの

「妻は家にいて 家庭を守り 子育てをする」

という概念から逃れられないでいる上に 自分と仲良く遊んでいた息子が 妻の帰宅と共に 妻にかかりっきりになってしまうことから 

「子供にとって 母が一番 父は二番手」 

という 神話が本物であることを 毎日思い知らされている存在。
ここでの母は 子供と一緒にいなくても 母親絶対神話を達成し 社会的にも成功した 父親がいなくても存在できる 絶対的母親の存在。

また 成功を常に追い求める 完ぺき主義者かつ 完璧に美しい 魅力的な妻の 期待に応えようとしても そのプレッシャーに耐えられず 大学時代の栄光にすがりつき 図書館で司法試験の勉強をする代わりに 自由そうなスケートボーダーたちを 無為に眺め 自分には違った世界があったのではないか と 夢想する。 
彼もまた 自分の居場所はここではない と 感じ 他に何か選べたのではないか という 焦燥感にかられている人。

この二人が 関係を結ぶのは とても自然なことでしょう。
会話のできない夫と 完ぺき主義かつ一歩立ち止まって 相手の立場に立ってものを見ることができない妻なのですから。

しかし サラとブラッドにもそれぞれの結婚相手を責めることはできません。

サラには 夫との関係を修復しようという試みは見られず 自分が持っている幸せを立ち止まって考える姿勢はなく ただ 今の環境から逃れようとするだけ。
娘が母から求める愛情も 彼女にとっては ただうるさいだけで そこから何か大事なものを見ようとしない。

ブラッドも ブルドーザーのように 自分の得たいもの 自分の理想を押し付けてくる妻に対し 無職で稼ぎがないという 劣等感からでしょうか 立ち向かい 話をするのではなく 妻に比べて はるかに見かけでは見劣りするサラと情事を持つことで 傷口を癒そうとしているみたい。
自分の不満や不安を さらけだすのではなく 妻より 「女として 下である」と見なした女性を相手にすることで 男性としての劣等感を癒そうとしているのが なんとなく見て取れます。
彼は 男性に対し社会が抱く理想像 ハンサムで スポーツ万能 よい仕事 というものに 自分が一歩手が届かずにいて もしかして一生手が届かないのでは という 不安から サラとの情事にはまってしまう というのもあるでしょう。
だからこそ スケートボーダーを見て ありえなかった過去を夢想し かつて華々しい活躍をしたアメフトの草チームに入って 過去の栄光を夢見て 現実の穴埋めをしているのでしょうが。

三番目の母は 子供に対する性的いたずらで長年投獄されていた ロニーの母親で 彼女は 世間の抱く母のイメージを 体現しています。

子供がどんな人間であれ どんな過去を持っていようとも その可能性を信じ 本当は「いい子」であることに疑いを持たない存在。
子供を守るためには 何でもし 犠牲を厭わないという存在。
例えおろかであっても 自分のことを無条件に信じてくれる 愛してくれる存在は 母親以外にはない ということを 表しています。

こうした 母親像の周りで 映画は展開していき 夫婦というものの 難しさ そして 自分の居場所というものを求める 人々の必死さを 映画は描いていきます。

サラとブラッドだけではなく ロニー そして ロニーを害虫と考え 勝手に自警団を結成し ロニーとその母に嫌がらせをする 元警官のラリーも 誰もが自分の居場所がない と 感じています。

居場所がないと感じてしまうのは 世間からの期待される姿が受け入れられないだけではなくて 世間からの偏見 世間から受け入れられないという 拒絶と孤立 過去の失敗 自分が愛するものを失い 二度と取り戻せないことを知っている悔恨 など 様々な理由があることが 描かれており 欠点の多い人間というものを 断罪するのではなく 仕方ない と 受け止めていく暖かい視点があるように感じました。

それだけに 最後のブラッドとサラの取った決断は 非常に陳腐で 納得できないものに感じられました。

以下ネタバレしてるので 色を反転しました。
ネタバレしても構わない!という方だけ お読み下さい。

映画中でサラが 古典である「ボヴァリー夫人」に言及し ボヴァリー夫人とは 自分の選択肢を追求した女性なのだ と 断言するのであれば 現代のボヴァリー夫人たるサラは その決着のつけ方についても 現代的であったほうがよかったように感じます。

それとも 自分の人生で 一番大事だと 考えるものが いかに古典的 かつ ステレオタイプに思えても 敢えてそれを選択する という点で 世間から要求されるものをそのままに無意識に無条件に受け入れるのではなく 自分の選択で選んだ という点で 新しいということなのでしょうか。

しかし その自分自身で決定した と 考えられる 彼女の決断にしても やはり それまでは どちらかというと 娘を無視して ブラッドとの情事にふけっていたかに見える サラだけに いきなりの決断は

「母親であるということは 女性の本能」

という神話に頼っているようで 少々怠慢かつ やっぱり男性が作った作品だよな という 考えがぬぐえませんでした。

ブラッドの取った行動も不可解。
駆け落ち なんていう 大事なときに スケートボーダーに初めて声をかけられたからって スケボーしますか???
まあ 彼にとって サラとの情事というものも 自分の男性としての存在の不安を充たすため 彼女と駆け落ちすると決めたのも サラが 妻のキャシーが興味も示さなかったアメフトの試合に来てくれたから 感激してなのでは? 
自分が若さを失っていき かつての栄光を取り戻す様を目撃 共有してくれたからこそ 駆け落ちするという決意に至ったのであって それは 自分という存在を無条件に認めてくれる 母的存在に出会ったということではないのか?と 映画を観ていて感じたのですが その 自分というものに対する 受諾というものを 求めていたはずなのに そんなに簡単に忘れ 覆せるようなものだということは 自分が若いと認めてもらったこと つまり 自分はいつでも 自分で選択をし 新しくやり直せることができるということを 示唆しているとでも いうのでしょうか。
しかしそれも たまたま スケートボーダーに声をかけられる という 偶然があったからこそで 実際には自分で積極的に決断をしたわけではありません。 
サラも自分で選択したように見えますが それも ある事故があってのこと。

自分で選択ができない 泥沼に嵌ってしまった とでもいう 感覚から 自分で人生に立ち向かうことから 脱出できる ということが 最後のシーンで描こうとしたものであったとしても 偶然によって気づかされる というものでは あまり説得力がないように感じます。

そして この二人の変心は まるで アメリカの良識 という奴を 主人公二人がいきなり取り戻したようで とても不可思議でした。
まるで 

アメリカ人なら 心の底に アメリカ的な良心と価値を持ってるハズ」

という 思い込みが見えるよう。

なので いくら最後のシーンで サラとブラッドがやっと家族の大事さを認識したように見えても 本当にはわかっておらず また同じことをするのではないか と 思ってしまいました。
そして 彼らが自分たち二人の関係について どう考え どう説明づけるのか どう認識するのかがないまま 映画は幕を閉じるので 不完全燃焼という感覚が否めません。

しかし それに対し ロニーとラリーの自分のしたことへの責任の取り方は ひどく残酷なものではありますが 真摯なものに感じられました。
この二人に関しては 人間的なもの いくら表面的にはひどく残虐に見える人であっても 実際に やり直そうという強い意志があれば それは可能だ という点で はるかに効果的に描写されていました。

最後の決着さえもう少し違っていれば・・・と 少々残念ですが 微妙なユーモア 丹念な人物描写と ストーリー描写 は見る価値ありです。

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| エイガ | 22:26 | comments:7 | trackbacks:2 | TOP↑

ちらの雑誌にもそんな書き方がされていたけれど 


外国にまで日本の公園デビューの話が知られてただなんてー知りませんでした。

| ないしょさん | 2007/03/27 06:53 | URL |

彼は 男性に対し社会が抱く理想像 ハンサムで スポーツ万能 よい仕事

スポーツがうまいのが理想だなんてせいぜい高校生までですよ。

| ないしょさん | 2007/03/27 07:08 | URL |

名無しの権兵衛さん

>外国にまで日本の公園デビューの話が知られてた

結構 日本って こんな変な国・・・ みたいな記事 多いですね。

>スポーツがうまいのが理想だなんてせいぜい高校生まで

いえいえ 外国では 大人になっても スポーツ上手 とか エクササイズしてる とか そういうの 恋人探しとかでは 高ポイントですよ~。
日本だと 知的 の方が 理想的で 私は こっちの方がいいです!

後 「お金持ち」 と 公言してはばからないヒトも(苦笑)

| プリシラ | 2007/03/27 08:45 | URL |

素晴らしいレビューでじっくり読ませていただきました。
おっしゃるとおり、ラストはもうちょっと違った感じのほうが説得力がありましたよね。
予備知識なしで観たので最初はただの不倫モノ?!夫のパソコンに向かいながら「あれの最中」を発見してしまうサラのときなんてコメディなのかと思いました(笑)ストーリー進むうちに引き込まれましたけどねw
TBさせていただきますねー!

| akky | 2007/06/18 14:56 | URL | ≫ EDIT

akkyさんへ

はじめまして。
お褒めにあずかり 大変光栄です。

やっぱり 最初のあたり あれは コメディっぽかったですよね?
笑っていいのだろうか 笑ってはいけないのだろうか ちと 悩みました。
これも 原作つきだそうですので 原作も そのうち 挑戦してみたいです。

こちらこそ TBお願いいたします。

| プリシラ | 2007/06/18 22:02 | URL |

公園でびゅう。

 プリシラさん、こんにちは! トラバとコメント、ありがとうございました★ お礼が遅くなってしまって、すみませんでした。

 アメリカ映画で公園デビューとママ友つきあいが描かれるとは思っていませんでした。私もああいうのは日本ならではのおつきあいだと思い込んでいたもので。アメリカ人は日本人より主張の強いかたも多いように思うので、ママ同士のおつきあいも更に大変なんじゃないだろか、なんて思ってもみたり。

 いつもは、ナレーションのある映画ってあんまり好きじゃないんですけど、この映画ではあのナレーションがなんとなくユーモラスで、いいクッション材になっていたように感じられたので、嫌悪感いだかずに見ることができました(^^;)

| 香ん乃 | 2007/09/30 18:29 | URL | ≫ EDIT

香ん乃さんへ

いえいえ そんな謝らないでくださ~い!
私なんていつものことで・・・(苦笑)。

そうなんですよね 外国でも公園デビューがあるのか!と 驚きますよね。バリバリ働いて保育所へ預けてる人も多そうなのに 裕福なご家庭だとそんなことすることもないので 日がな一日ああやって子供の相手して お友達作るんでしょうが 日本のサル山のような公園デビューの話を見聞きするたびに うーむ 怖い・・・と ドキドキします。

香ん乃さんと同じく ナレーション苦手です☆
でも これではいい味出してましたよね。

| プリシラ | 2007/09/30 22:18 | URL |















非公開コメント

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Little Children=日本未公開

さて、またまた寒さのぶり返したNYC。それでも雪が降るには程遠い寒さなのですが。陶芸教室も始まり忙しくなりつつある街猫。しかし、ここのUpも頑張りまする。順番にUpして行こうと言う事で今日はLittle Childrenを。どうして見たかと言うと年末の賞レース記事....

| 街猫 in NYC=街猫日記 Part 2 | 2007/06/19 02:57 |

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| 【待宵夜話】++徒然夢想++ | 2007/09/30 17:25 |

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