Lost in Australia 

オーストラリアから 映画と英語と暮らしのことなど 色々と

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ツォツィ (Tsotsi) - 品位というのは 何か

*ご注意。多少ネタバレあります。
TSOTSI

南アフリカ ヨハネスブルグのストリートチルドレンを描き アカデミー外国語映画賞を取った作品

ということで 期待していたけれど ちょっと おや?と 思わざるを得ませんでした。

というのも ブラジル映画 City of God の 暴力性と それに対する 若者のみずみずしさ そして しなやかさ を期待していたから。

だけど この作品は あくまでも 主人公がストリートチルドレンという 極限状態にありつつも どうして そういう境遇に至ったのか ストリートチルドレン同士の抗争や 人種問題など ちらちらと見せるだけで そのうち一つでもいいから 深く掘り下げることをしない。

不良仲間とスラムに暮らし 犯罪で生計を立てているという設定は ショックだが それが ヨハネスブルグの現実なのだろう。
教育も受けず 親の愛情も受けず 誰にも面倒を見られなければ とにかく 力でのし上がるしかない。
力 特に 暴力は 一番手軽に 他人への支配欲を満たす満足感 と ある種のコミュニケーションを与えてくれる。

しかし ブラジル映画 City of God を 観た後では だから?という感じがしてしまって。

勿論この映画は 家族の愛情にも 経済的にも恵まれず やむなく 一人暮らしになり 生きていく術として暴力に訴えるしか知らず それしか道がなかった一人の少年が たまたまめぐり合った 赤ちゃんを保護することで 人間として 他人とまっとうにかかわり合うことを知り やり直す機会を得る といのが テーマであることはわかっているのですが。

そして ツォツィという男の子が 過酷な環境を生き抜いてきたので 感情というものは 怒りとかなかったのが この3日間で 他者へ対する共感 愛情 反省 謝罪 などなど が 生じた ということも よくわかりました。

ですが キャラクターの内面の掘り下げが 必要とされるこのタイプの映画で 何故だかわかりませんが ツォツィが人間的に変化をしていく様子が 私には伝わりませんでした。
感受性不足 と 言われればそれまでなのですが。

それはもしかしたら 凶暴な狂犬のようだった ツォツィが 赤ちゃんとの出会いで人間的に変化した ということになっているのに 変わったはずのツォツィが見せた 変わらぬ凶暴性と 赤ちゃんに対する執着が 微妙にかみ合わなかったからでしょう。

製作者側としては 人間的に変化したツォツィにとって 前のままの自分と同じ性格の人間を葬ることは すなわち彼の過去を葬ることになるという メッセージだったのかもしれませんが もし本当に変化したのならば そういう人間=自分を許すこともできたのではないか とも 感じます。
まあ 3日間でそこまでの心境に至れるとも思えませんが。

赤ちゃんにお乳をやるために 強引に知り合いになる 未亡人に関しても もう少し彼女の境遇について 掘り下げがあるとより効果的に 現在 南アフリカの黒人層がおかれている立場がわかったのでは?

とまあ 文句はつけておりますが 南アフリカの現状をほのかにでも知り ツォツィたち ストリートチルドレンを含む貧困層が住む ヨハネスブルグ郊外のスラムと その後ろに燦然と輝くヨハネスブルグの都心を目にし どれくらいの格差が生じているか 考えただけでも怖くなりました。

そして こうした貧困層が 這い上がれる希望もない ということが 問題の根源の一つとしてあるということも この映画では描かれています。

ツォツィが出会う 身障者の物乞いが 何故 そんな体になっても死なない と 聞かれて

「毎日 お日様にあたるのが 楽しみなんだ」

と こたえる。

絶望していても もしかしたら そういった ささやかなことに 幸せを見出すことができる 人間の可能性を ツォツィは知り そして 赤ん坊を育てることで 自分を育ててくれなかった親に代わって もう一度 自分を育て上げようとする。

ツォツィは 人間が持つ可能性ということを 心で理解し そして 自分で変わろうとしていたように思います。
最後にツォツィが流す涙は 生まれ変わりのために 赤子の涙 と言ったところなのでしょう。
だけに あの終わりは 微妙に悲しかったです。
あれで ツォツィは 更生の機会を得た という意味合いなのでしょうが それよりは 彼が自分の意思で歩み 自分の意思で自分の将来を決める と なった方が より 彼の変化がはっきりしたのではないかしらん。

追記:いつも楽しませていただいているえいさんの 「ラムの大通り」にて この映画が紹介されているのですが そこに書いてあった映画評を読んで 気づきました。

映画の開始から 一度もワタシはこの ツォツィという男の子を 残虐な悪い人間 と 思っていなかったからなのです。

確かに 暴力的ですが 上記記事に書いたとおり 彼には他に手立てがなかったし 赤ちゃんを連れてきてしまうところに 既に 人とのかかわりを求める心が まだ残っている。
大体 仲間になじられて やけっぱちで車を盗む その行動も 仲間はずれにされたことで いじけている 子供 としか 感じられなかったから この彼の変化を 劇的 と 感じることが できなかったのだと思います。

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| エイガ | 12:09 | comments:6 | trackbacks:7 | TOP↑

土管のねぐら

こんにちは。

ご紹介いただきありがとうございます。
ぼくは、冒頭の電車の中のシーンで
あまりにも簡単に一つの命が消えてしまうことに、
深い衝撃を感じました。
そして容赦ないまでの仲間への殴打。
身障者の足を蹴るところも非情でした。
ぼくなんぞは、
ツォツィが言うように
あの身障者は、もしかしてそれを装っているだけかも……と思ったほどでした。

まだその時点では彼の過去が深く描かれていないため、
こんな暴力男の話が延々と続くのか、
これはついて行けないなという感じでした。
なのに、いつしか彼の気持ちに寄り添っている自分がいた。
これが自分でも驚きでした。

いまこの映画を思うとき、
真っ先に出てくるのは、
かつてのねぐらである
積み上げられた土管を訪れるシーン。
これは赤ちゃんとともに
自分の過去をたどり、
やり直そうとしているツォツィの無意識の行動なのかも。
こういったディテールの積み重ねが
いつしか彼の気持ちに寄り添うようになっていたのかもしれません。

| えい | 2007/02/17 11:44 | URL | ≫ EDIT

えいさんへ

多分衝撃度の違いというのは 変ないい方かもしれませんが 外国に暮らすと暴力と隣り合わせの感覚が いつの間にか なんとなく育ってしまっているので 日本にいたときよりも 暴力に対して耐性ができてしまっているのかもしれません。

また、南アフリカやジンバブエ、スーダンなどの出身の人たちと知り合う機会も多いので 貧困国では暴力が普通だ ということも ある意味 常識として感じ取ってしまうようになってしまったのかもしれません。

なので あの暴力沙汰を見ても 誰も「そうしてはいけない」なんて教えてもらえず 暴力に頼るしか身を守る術がなかったんだな、と 考えていました。

土管をデヴィッドに見せに行くシーンは 確かに彼にとってやり直しを意味していたのでしょうね。
後、未亡人の家で モビールを観て 興味を持ったシーンも 暴力だけではなくて きれいなものに関心を持てるようになった 彼の人間性が目覚めてきたシーンのように 思います。

| プリシラ | 2007/02/17 17:39 | URL |

こんばんわ

ヨハネスブルクといえば、世界3大危険都市に入っている場所なんですよね。
次のサッカーワールドカップは、この地で開催されるんですよねえ・・・大丈夫なんだろうか?と心配です。

どうやら大会への準備も滞っているらしく、それは資金的な問題や、地域的な問題もあってのことなのかなとも思ったり。

ツォツィは、あからさまな感情描写がされているわけでなく、そこを汲み取ったり感じたりするのはとても繊細な部分だなあと思いました。

でもやっぱり、私はシティ・オブ・ゴッドの方が好きです。衝撃度はあちらの方が大きかったな・・・。

| 睦月 | 2007/04/03 23:17 | URL |

睦月さんへ

ヨハネスブルグ 怖いですよね。
出身の方も ものすごく厳重な準備をして歩かなくては と 言っていました。
映画の中でも 触れられていたけれど 黒人層(この言葉 使用可なんでしょうか?)の間にも 貧富の差が出てきてしまっているのも また 問題なんでしょうね。
複数の差別構造が出来てしまうと 解決もまた 一筋縄ではいかなさそう。

ツォツィ 確かに音楽もないし 感情描写もないので 暴力的シーンで観客を打ちのめし それから 彼の置かれた状況をわかっていってもらう のが 監督の目的だったのかも?
でも シティ・オブ・ゴッドの方が 状況を描き出す という点では わかりやすかったように また 人間ドラマとしても 面白かったように感じます。

やはり 1人の人間が主人公になる時は 感情とか人間像を描くことを 無意識のうちに期待しているんでしょうね・・・。
先入観を持たないようにします。

| プリシラ | 2007/04/04 07:20 | URL |

こんばんは

「シティ・オブ・ゴッド」とは傾向が違ってましたね。
やりなおしの希望がありました。
音楽も含めて、南アフリカを少し知ることができたのも収穫でした。

| ボー | 2008/03/23 00:49 | URL | ≫ EDIT

ボーさんへ

そうですね やり直しの希望 とか 最後にホームレスのおじさんのおかげとか どんな命でも価値がある ということを示したのは評価してます。
聞けば聞くほど 南アフリカは貧富の差が激しいとかで Wカップに行きたい気持ちが萎えています…。

| プリシラ | 2008/03/25 18:34 | URL |















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『ツォツィ』

(原題:TSUOTSI)---最近、アフリカを舞台にした映画が多いね。確かこの映画、2006年アカデミー賞外国語映画賞を受賞したんだよね。「そう。それってアフリカ映画では初めてのことらしい」---ところでタイトルの意味はニャンなの?「主人公の少年の呼び名。一般的には、南ア

| ラムの大通り | 2007/02/17 10:45 |

感想/ツォツィ(試写)

アフリカを生き抜くのはかくも厳しいのか…。『ツォツィ』4月14日公開。&quot;ツォツィ&quot;(不良の意)と呼ばれる少年。本名も過去も明かさず、銃を片手に強盗、カージャックなどを重ねながら日々を送る。ある日、黒人女性を襲ってクルマを奪うと、後部座席には赤ん坊が

| APRIL FOOLS | 2007/04/03 00:08 |

ツォツィ/ TSOTSI

「ツォツィ」ってどういう意味だろう??と思ったら、南アフリカの言葉で&quot;不良&quot;とか&quot;チンピラ&quot;  劇中の字幕では&quot;不良&quot;になってたけど、もっとタチの悪い、&quot;チンピラ&quot;のニュアンスの方が近い。南アフリカ、ヨハネスブルグ。誰も本

| 我想一個人映画美的女人blog | 2007/04/03 02:39 |

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ツォツィ

期待値: 78%  2006年アカデミー賞外国語映画賞受賞作品。 ギャヴィン・フッド 監督・脚本, 

| 週末映画! | 2007/04/28 22:03 |

「ツォツィ」

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| 或る日の出来事 | 2008/03/22 23:15 |

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