先日も書きました ドリームガールズですが 書き残したことがあったので 追加。
現在音楽界で主流なのは
R&Bと言われているもの。
ビヨンセ率いる デスティニー・チャイルズとかそうです。
一度 シェアハウスで一緒だったオージーが 偉そうに
「アタシは
R&B すきなのよ。知ってる?
R&Bって」
勿論知ってる と こたえると
「やっぱり 本物じゃないとね。アジア人のやってる
R&Bなんて偽物で 笑っちゃう」
と言って 彼女が好きだといって名前をあげた歌手は 実は白人で 「
R&Bっていうのは 元々
アフリカ系の音楽だよ。ロックだって 基本的には
アフリカのビートじゃない」 と 言ってやりたくなりましたが そんな おバカさんに言っても聴く耳持たないので 放っておきました。
というわけで この
映画 いかにして
アフリカ人だけの音楽だった
R&B というものが メインストリームとなっていくか を 音楽に乗せて紹介していきます。
この様子を見るのは まず 観客層 と そして テレビの画像に注意を払っていれば よいでしょう。
当初 ドリームガールズの音楽を聴くのは
アフリカ系
アメリカ人層のみ。
その音楽が 白人層に パクられてしまいますが そのときに画面に映るのは ステキなアメ車に ハワイアン。ブロンド美人をバックに の〜んびりムード。
これが当時の メインストリーム。
パクリに憤る気持ちはよくわかりますが しかしそれは
アフリカ系音楽へ メインストリームたる 白人が魅力を見出し 門を開いたということ。
敏腕マネージャーである カーティスは このチャンスを見逃さしません。ソウルフルなオリジナルを 軽い軽いポップスにしたてあげていたのを 見て取ったカーティス。 エフィーの兄のCCという 凄腕作曲家と共に 「白人に受ける」を目標に マイアミ そう、お金持ち白人層のいるステージへ 一番手であるジミーを連れて 乗り込みます。
しかし 黒人音楽のソウルと セックスを思わせるパフォーマンスに満ちた ジミーのステージに反撥を感じる観客を見た途端 カーティスは 「ソウルはだめだ もっと 軽くないと」 と ばかりに ソウルたっぷりの声を持つ エフィーを下げて 明るいトーンの歌声を持ち 従来ならばバックコーラスを担当するはずの ディーナを主役に饐えます。この作戦が功を奏して 無事 ドリームガールズは スターダムへとのし上がり ディスコブームへとつながっていき 現在のように
R&Bが受け入れられる下地ができた と 考えます。そして メインストリームとなったディスコミュージック。
ですが カーティスが ディーナと口論になったとき
「お前の声が没個性だから 選んだんだ」
という 台詞を吐きますが これは この現代の音楽界 とりわけ
R&B界への皮肉がたっぷり と 感じてしまいました。
アフリカ音楽に起源を持つ ブルーズがいつのまにか その魂を失い 大衆化されてしまった と批判しているように 受け取ったのです。
多くの
映画評では ジェニファー・
ハドソンを賞賛し
ビヨンセをけなす声が多いですが 決してそうは感じませんでした。
特に
ビヨンセのファンでもないし いわゆる
R&Bのファンでもないので 偏見があるというわけではないのですが この
映画は 前半は エフィーの
映画 後半は エフィーがいなくなってから ドリームズが有名になることで 中心人物となる ディーナが 主役となりますが ディーナは常に
「自分はスポットライトの中心になるべきではない」
と 感じており マネージャーであるカーティスによって 操られる人形のようにしか 感じていない様子が きちんと描かれています。
彼女には自分の意見もあるし 好みもあるけれど 敏腕プロデューサー、マネージャー、かつ 夫でもある カーティスは ディーナに耳を貸そうともせず ただ ひたすらに ディーナという素材を使って 自分の夢を実現しようとしています。
自分に音楽の才能がない もしくは スターが自分ではないことを なぜか カーティスは嫉妬しているようにも 感じられました。
自分が育てたはずの グループなのに そして 自分が選んだ ディーナなのに 自分の好みを押し付けている点に 全員でチームとして ファミリーとして 成功するのではなく 自分の代理として 自分の夢見るとおりの成功を勝ち取るように カーティスが操作しているようです。
ディーナは グループとして成功するために ひたすら 自分たちの才能を見抜き、大きくしてくれた 信頼するカーティスの言うことを聞き その通りにしていればいい と 考えていたものの やはり 自分というものがあり だけれど 夫かつマネージャーということで 一日中管理されている いわば かごの中の鳥状態だった ディーナですが ついには自分を取り戻します。
自分たちの夢見ていた スターダムを 全員のためにかなえようと 主役の座を頑張っていたものの 自分ではない役を演じていた 辛さを
ビヨンセは きちんと演じていたように 思います。
確かに最初は ドリームズの3人が夢見ていた スターダムという成功ですが それが いつのまにやら カーティスによって作り上げられたものに変わってしまい 家族であり 共に夢を追求するはずだった ドリームズは 存在意義を失ってしまいます。
そして 売り上げのためには汚い手段を使うことも やむなし とする カーティスの姿に かつての彼らの歌を奪った 白人層の再来を見て ショービズ界の厳しさを知ると共に ファミリーと自分たちを考えていた ドリームガールズは 終焉せざるを得なくなるのです。
つまり 主流の白人層に食い込んでいくために 戦略として また
アフリカ系
アメリカ人として 一体になって協力して ファミリーとしてやっていったはずが 主流の位置を占めると いつしか 主流派としてビジネス=金儲けの手段でしかなくなり スタート当初に持っていた 新しい音楽を作り 自分たちの音楽を認めさせる という考えはなくなり いつもどおり従来どおりの音楽しか受け入れなくなる 保守化した カーティスは ドリームガールズ、夢を実現するために 頑張る一団には 既にないということです。
その様子は CCが ローレルとジミーと録音した
アフリカ系
アメリカ人向けの メッセージソングを カーティスは 一般に受けないから と 将来的なことを考えもせず すぐに却下するシーンで明らかになっています。
麻薬で身を持ち崩す エディふんする ジミーは まさしく
アフリカ系
アメリカ人の「ソウル」を代表する役柄です。
ですが ソウルを歌う限り 彼はメインストリームには なれず かといって 自分の心に正直に メッセージソングを歌えば 却下され 歌いたくもない イージーリスニングタイプの歌を歌い とうとう 抑えきれずに 舞台でソウルを歌った途端 彼は永久追放となってしまいます。
そんな人がいても それでも 夢を追い続けよう 私たち ドリームガールズは あなたといつも共にいる と 歌い上げるシーンは 一つの夢が終わっても 新しい夢を見よう という
アメリカ人の心にどんぴしゃ響くのでしょう。
監督ビル・コンドン は キンゼイなど 「栄光の頂点から 転落する人間」を描くのが得意ですが 本作品もその一つ。
今回は エフィーにもう一度栄光を与えることで 更に受け入れられやすい作品となったようです。
つまり
アメリカ的に
「才能を持ちながら 不遇により 正しく評価されないが 後に その才能が認められる」
という
アメリカンドリーム、一度失敗してもやり直せる!という 気持ちに観客をさせたことが 勝因でしょう。
ですが 実はこの作品 あまり楽しめませんでした。
というのは エフィーの性格に共感できなかったから。彼女が ものすごく いやな人間だから。
不器用といえば それまでだけれど 自分自分 と 自己主張ばかりで 追い出されるのも仕方ない!と 思ってしまいました。そして 変わったのよ と 歌しか自分には道がない!と 決めて やっとの思いでバーでの歌手の職を得るときさえも その 傲慢で自信たっぷりな態度に変わりがないようにしか見えない脚本のせいで いくら彼女が
「私は変わったの」
と 歌ったところで
「さっきのあの態度は 何だったんだよ」
と いちゃもんをつけたくなるのが 玉に瑕。
そんな人でも 好きなことをやっていれば いつかは報われる と 言いたいのかもしれませんが 先日観た 「世界最速のインディアン」と比べると 同じ夢を追っている同士なのに この違いは何 と。
このエフィーを いやなオンナ と 感じさせないように 台詞が同じであったとしても 違って演じることができるのが すばらしい演技者だと 思います。残念ながら 女優初挑戦の ジェニファー・
ハドソンには そこまでの演技力はないでしょう。確かに歌は本当に上手でしたが 女優としては まだ未知数です。
それとも 他の方は そうした態度に 「強がり」を 見たのでしょうか。それならば どこかで エフィーが強がっている自分から 素の自分 本当は歌いたくて仕方ない それこそが自分のしたいこと!と 強く信じる様子 切望する様子を描く ワンシーンをいれてくれればよかったのですが。
それに 多くの方が絶賛している 彼女のクライマックスシーン の演技も 正直言って 私にしてみると 駄々っ子のようにしか見えなくて 正直言って興ざめでした。
彼女の歌声が 素晴らしく力強いために 悲しい気持ちは 歌声からは伝わっただけに とても残念でした。ただ 呆然と立ち尽くす とかの方が 彼女の絶望が伝わったように感じます。
反対に 誰も評価していない ローレンの演技に 惹かれました。
きちんと脇を務める人がいなくては 主役は光り輝きません。
ローレンは ドリームガールズの中でも 実生活でも 常に二番手の存在です。その悲しさを そこはかとなく伝え それでも 自分が好きなのだから 仕方がない と あきらめて 最善を尽くしていく姿に どちらかというと 共感できました。
脇役がきちんと描けている ということは よくできた脚本という証拠なだけに エフィーのわがまま三昧を肯定するかのような 描き方は勿体なかったです。
ジェニファー・
ハドソンが クィーン・ラティファのように 化けてくれることを 心より望んでいます!